三人は、空を自由に行き来できるという夢の船“飛行船”を前に、ボロウ博士からそれについての説明を受けました。
この飛行船、通称“鯨”の仕組みとはこうでした。
まず、気嚢と呼ばれる大きく目立つ魚影のような薄い革袋に、研究所内で製造した空気よりも軽い気体を詰め込みます。
気嚢がパンパンになるまでその気体を満たすことで、船全体がふわりと宙に浮くのです。
そしてその気嚢の下には、小型の木製の船が吊るされています。
その船はそこらの普通の船と勿論違っていて、その前方には操縦者用の席があり、空中での飛行船を操作する為のレバーやらペダルやら計器類がゴチャゴチャとついているのでした。
(本来、飛行船は大人が二人で乗るように作られているのですが、マゼルらは子供ということで、三人の搭乗が許されています)
マゼルとゼイラはボロウ博士の説明をいちいちうなずきながら聞いていましたが、タリムにはどうにも腑に落ちない部分があります。
それは、飛行船の推進力に関するものでした。
船の後方には回転する大きな四枚の羽根(プロペラ)が推進装置として備えられており、それを高速で廻すことにより揚力を得て、宙に浮いた状態の飛行船は前へと進むのでした。
気嚢に空気より軽い気体を詰め込むことで浮力を得る、という仕組みは分かります。
しかし、そのプロペラを高速回転させる原動力が何なのか、それがさっぱりわかりません。
ボロウ博士は、操縦席の足元にあるペダルをグイと踏むとペダルの回転率が上がり、鯨の飛行速度が上がる、と説明するだけです。
見ると、船の後方に備え付けられた黒い箱のようなものからプロペラの軸が突き出ており、それがプロペラを回転させる装置のようではありますが、その箱の中を伺い知ることは出来ません。
中は一体どうなっているのでしょう。
タリムは思い切って、そのことについてボロウ博士に質問をぶつけてみました。
しかし、
「飛行船の推進動力は何なのか、それは君達には関係のないことだ。君達の目的は飛行船の操縦方法を会得することである。その仕組み自体を知ろうとする必要は全くない」
とピシャリと言われてしまいました。
しかし、この飛行船はルドニア研究所の最高機密なのです。
そう言われても仕方がないと、タリムは黙ってしまいました。
× × ×
三人は一通り飛行船の説明を受けると、鯨の巣の底にある小屋の中に場所を移しました。
その小屋は機械工具が散乱し、飛行船を飛ばす為の何だかよく分からない装置だの部品だのが所狭しと詰まれていました。
そしてその奥に、簡素な木製の椅子と机、黒板などが置かれた、ちょっとした可愛らしいスペースが用意されています。
三人はそこで、ボロウ博士から今後の予定について説明を受けました。
まず、三人はここ鯨の巣で飛行船の操縦方法をしっかり学びます。
そしてそれを会得した後、ここからカルボナル火山まで飛行船で飛び立ち、その火口の真上からタルマを投げ入れるのでした。
(その決行日はルードン大博士から言い渡されることになっており、今はまだ決まっていません)
「さぁ、君達に贈り物だ」
そう言うと、ボロウ博士はマゼル、タリム、ゼイラの三人に、それぞれ専用の飛行服を手渡しました。
それは軽くて丈夫な羊の革で出来た、とても動きやすいツナギの服でした。
子供達はそのお揃いの衣服に着替えることで、何だか気持ちがギュッと引き締まる気がするのでした。
「他に、何か質問はあるか?」
「あ、あの!」
ボロウ博士の問いに、ゼイラが声をあげました。
「何だ?」
「いや、飛行船の話ではないのですけど……。タルマは、タルマはここにいるのですか?」
「タルマ?」
「あの得知れぬ生物のことです」
「ああ。いや、ここにはいないが」
「そうですか。ではタルマは今どこに?研究所の中にはいるんですよね?元気ですか?また何か酷いことにはなっていませんか?」
ゼイラの質問に、ボロウ博士はにわかに苛立ったように声を荒げました。
「得知れぬ生物の安否など、君には関係ないことだ。君らはそれを抹殺する立場にある、変に情を持つのはやめなさい」
「……は、はい」
勇気を出して聞いたゼイラは、すっかりしょげてしまいました。
しかし今の質問で、ゼイラは思いのほかタルマの事を気にかけていることが分かりました。
ゼイラはタルマの第一発見者として、他の二人よりもより強いタルマへの想いを持っているようでした。
ボロウ博士はそんなゼイラの様子を見て、静かに口を開きました。
「……得知れぬ生物は、ルードン大博士が厳重に保管されている。実際、私もまだ目にしていないのだ。昨日から研究所の職員はその生物の噂で持ちきりだが、それを見たのは、ごく限られた者だけ。私が逆に、君達に聞きたいくらいだよ、未知の生物とはいかなるものなのかをな」
× × ×
それから三人は毎日、朝から日が暮れて暗くなるまで、飛行船を使って模擬の操縦訓練を行いました。
気嚢に入れる空気より軽いガスはとても高価で貴重なものらしく、まだ実際には飛ばすことはせず、飛行船を使った形だけの操縦訓練を行ったのです。
そして夜になると三人は跳ね橋を渡って研究所の本館へ戻り、その一室でポー博士と共に食事を取り就寝するのでした。
(ポー博士は三人が訓練の間、唯一入室を許された図書室に閉じこもり、本を黙々と読んで過ごしました)
そうして訓練を行って一週間目、マゼル、タリム、ゼイラの正式な役割が発表されました。
まず、タリムは正操縦士です。
空を飛ぶ船の操縦とはとても複雑で、難しいものです。
これをまともにこなすことができたのはタリムのみで、次にマゼルがどうにか、という程度なのでした。
次にゼイラは、タルマを飛行船から火山口に投げ落とす役です。
タルマは鉄籠に入れられたまま投下される予定なので、三人の中で一番の力持ちのゼイラがこの役に選ばれたのでした。
最後にマゼルは、飛行進路の指示役及び、飛行船の副操縦士です。
空を飛行しながらカルボナル火山周辺の地図と磁石を見て、飛行船の方向を定めると共に、もし飛行中にタリムに何か事故があった場合、その操縦を交代する役なのでした。
三人はそれぞれの役割を決められてからというもの、俄然やる気がみなぎってきました。
最初はその目的がタルマを殺すことということで、どうにも乗り気にはなれなかったのですが、毎日秘密の訓練を繰り返すにつれ、また、この計画がマルゲリタ全体を守る為だと言われ続けるにつれ、自分達は選ばれた人間で、この任務をどうしても遂行しなければならないという“使命感”が、三人の心の中にふつふつと芽生え育ってきたのでした。
あのタルマ想いのゼイラさえ、そう思うようになりました。
そうして、この研究所に四人が来てから二週間が経ちました。
もうタリムは模擬訓練ではよほどうまく飛行船の操縦ができるようになり、ついには鯨の巣の中で実際に飛行船を飛ばした低空飛行訓練も、問題なくこなせるようになりました。
「さすが、子供は物覚えが早いな」
研究所の技術者がそう驚くほどでした。
ゼイラは、鯨の巣のてっぺんに据えつけられた船の上から、はるか下の地面に鉄籠を落とす
訓練を繰り返しました。
こちらも、下の地面に書かれた的に何度も正確に籠を落とすことができるようになりました。
マゼルはタリムと一緒に飛行船の操縦を訓練する傍ら、地図や磁石の見方やなどの勉強を続け、こちらも文句のない出来栄えとなりました。
三人の努力が実を結びはじめたその頃、ルードン大博士が直々に鯨の巣へと足を運びました。
三人は一旦それぞれの訓練を中断し、鯨の巣の底へと降りてきたルードン大博士に対し整列し、軍式の敬礼をして見せました。
そんな立派な様子の三人を見て、ルードン大博士はたいへん満足気です。
「うむ、子供ながらとてもよい顔つきになったな。この一週間で、諸君らがいかに成長しかたがよくわかるぞ」
その言葉に、三人の子供達は心底嬉しい顔をしました。
あのとても偉い、マイロン市長や大学博士も恐れ敬うようなルードン大博士に褒められたのです。
これは誇ってよいことです。
「これならもう、使命を任しても問題あるまい」
そして遂に、ルードン大博士の口から計画実行の日にちが告げられました。
ルードン大博士とマルゲリタ火山局との話し合いの結果、三日後の早朝、まだ日が昇る前の暗い内に計画は決行されるということでした。
ほぼ夜の出発ということで、三人の頭には少しだけ不安が横切りました。
しかし、自分達の操る鯨は研究所の重要秘密であり、なるべく人目に付かせるわけにはいかないのです。
その為の夜明けの決行なのだと、三人は自ずと理解しました。
そして三人とも、それでも自分達はきっとうまくやれるだろうという、自信に溢ち溢れた顔をしているのでした。
【つづく】
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- 2008/08/25(月) 23:57:44|
- 序:鉄籠のタルマ
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「こちらへ着いて来なさい」
ボロウ博士に連れられ、マゼル、タリム、ゼイラ、ポー博士の四人は、ルードン大博士の書斎を後にしました。
暗い廊下を先に行くボロウ博士は、後ろなど一切見ずに淡々と話しはじめました。
「わかっていると思うが、ここ“ルドニア研究所”は本来なら君たちのような者が入れる所ではない。あの厳重な警備と壁を見たかね?もしあの壁を越えて侵入しようとした者は、ただちに警備兵に捕らえられ、場合によっては殺されることになっている。それだけ、ここでは極秘裏の重要な研究がなされているということだ。君らと言えども、この中で勝手な行動を起こすとそにようになるかもしれないことを、よっく覚えておきなさい」
ボロウ博士の冷たい声に、三人の子供達は戦慄しました。
「あなたもですよ、ポー殿」
「は?」
突然話を振られ、ポー博士は素っ頓狂な声を出しました。
「あなたも外では一応“博士”と呼ばれているようだが、ここではそんなものは通用しない。あくまでその子供らと全く同等の扱いだ。変な心持ちで施設内をウロウロされては迷惑なので、そのつもりでいなさい」
「……」
『くそ、こんな若造に……』
ポー博士は、いよいよボロウ博士のことが気に食わなくなりました。
ボロウ博士は続けました。
「先に警告しておくが、これから三人の向かう場所は、ルドニア研究所の中でも最も機密の多い場所だ。ここの職員の中でも、そこに入れるのは極一部の限られた者となる。今から諸君らにはその施設の中に入ってもらうが、そこで見たことは決して外で他言しないように。例えそれが、ポー殿であってもだ。それを話した時点で、子供といえど罪とみなす。ポー殿もそうだ。この子供らに、内部の話を聞きだそうとするだけで、それを罪とみなす。良いな」
「……は、はい」
子供達は小さく震える唇で答えました。
彼らはまだ、その人生において罪などというものを実感する歳ではありませんでしたから。
しかしその中で、タリムだけは少し目の色が違っていました。
ボロウ博士は階段を幾つか降りると、ひんやりとした石壁の廊下の突き当たりにある、木製の厳重な扉の前まで来ました。
「ここから先は、子供ら三人だけで進んでもらう。ポー殿はここで待っておられよ」
そう言うと、ボロウ博士は懐から鍵の束を取り出し、その扉の鍵穴へ差し込もうとしました。
「あの、待つとは、どれくらい待つことになりましょうか?」
ポー博士の質問に、ボロウ博士は一瞥して言いました。
「私が待てというのだから、ただ待っていればよろしい」
華奢なボロウ博士はその扉を重そうに開くと、中に入るように子供達に促しました。
子供達はポー博士を大変気の毒に思いながら、その中へと入って行きます。
ボロウ博士はそうして自分も中へ入ると、無言でその扉を閉めてしまいました。
重く扉が閉ざされた後、その向こうからガチャンと鍵の閉められる音がします。
『…ぼっちゃん博士が』
せいぜいの強がりを思いながら、一人取り残された博士はその場に立ちすくみました。
廊下の壁に無骨に開けられた四角い明かり取りの窓からは、遠くカルボナル火山の山影が望めます。
頂より雄雄しく煙を吐きながら立つその姿に、ポー博士はどうしても自分を重ね合わすことが出来ませんでした。
『……やはり、来るのではなかった』
ポー博士は今、心の底からここへ来たことを後悔していました。
× × ×
『僕は今、大変な所にいるぞ!』
タリムの心は激しく、そして穏やかに興奮していました。
タリムは学者である父親の影響で、幼いころからとても知的好奇心の高い子供でした。
父の亡くなった後も、将来は父のように偉い学者さんになって、母さんに楽をさせてやろうと考えていました。
学者にとって一番の出世コースは、マルゲリタの最高学府であるダドック大学を卒業し、ここルドニア研究所に勤めることです。
タリムの父・ムクリ博士はダドック大学は出たものの、ルドニア研究所には勤めておりません。
ポー博士と同じく、マイロン大学に教授として長く勤め、その生涯を終えました。
今タリムは、その父が生涯入ることが無かったであろうルドニア研究所の、そのさらに最深部に向かおうとしているのです。
これはタリムにとって、これ以上ないほど光栄且つ感激な出来事なのでした。
やがて、また厳重な扉を一つ越えると、ボロウ博士に連れられた三人は建物の七階にある“空中門”のような場所に辿り着きました。
廊下の突き当たりに、木製の大きな扉のようなものが立ちふさがっているのです。
その両脇には、銀色の鋭い槍を携えた屈強な警備兵が、樹木のようにどっしりと立っていました。
『門?ここは七階のはずだけど…』
タリムはその不自然な場所にそびえる扉を不信に思いました。
警備兵は一行の姿を認めると、両足を揃え胸を張りました。
「これはこれは、ボロウ博士」
「うん。ちょっと開けてくれるかな」
「はっ。しかし、その後ろの子供達は……」
「これは大丈夫、ルードン大博士のご指示だ」
「はっ、そうですか。失礼しました」
そう言うと、警備兵の一人は壁のひところから突き出したレバーのようなものをグイと引きました。
するとどうでしょう、目前の巨大な木製の扉が上部からじょじょに開きだし、ガラガラと音を立て前方へ倒れてくゆではありませんか。
『跳ね橋だ!』
タリムがそう思ったと同時に、その開いた隙間から日の光が矢のように差し込みました。
その木製の扉が前方に倒り切って平行になると、それは巨大な橋となりました。
三人の子供達は、その先の光景に息を飲みました。
ここはルドニア研究所の真裏にあたる場所であり、その橋の先は、このルドニア研究所と同じ、いや、それよりさらに大きいくらいの、円柱状をした石造りの建物の最上部へと繋がっていたのでした。
奇妙なことに、その建物の壁には一つの窓もなく、屋根もありません。
「あれは何だろう」
マゼルが呆れたように言いました。
「あの建物が、君達の当面の持ち場だ。我々はあの建物を“鯨の巣”と呼ぶ。鯨の巣には、地上の入口はない。ここから橋を通るしかないのだ」
そう言うと、ボロウ博士はその橋をすたすたと渡りはじめました。
「着いて来なさい」
三人もあわてて、その軋む橋へと小さな足を踏み出しました。
× × ×
四人はルドニア研究所からの跳ね橋を渡り、鯨の巣の最上部へと移りました。
全員が渡り終えた途端、その跳ね橋はその両端に繋がれた鎖に引き上げられ、対岸のルドニア研究所の壁にバタンと収められてしまいました。
これにて、四人は完全に陸の孤島となった鯨の巣に閉じ込められた形となったのです。
「下るぞ」
三人はボロウ博士に続き、その筒の内側の壁に沿ってらせん状に作られた階段を下りて行きました。
建物の内部は吹き抜けとなっており、その階段からは下の丸い地面が見えております。
ここはまさしく、巨大なただの筒のような構造をした建物なのでした。
その底には、作業場のような屋根のある簡素な平たい建物と、二人の白装束の職員、そして、魚のような形をした、白く大きな物体がその中央に立たずんでいます。
『あれは?』
『……鯨?』
三人の子供達は頭に疑問符を浮かべながら、ようやく長いらせん状の階段を降りきり、鯨の巣の底へと降り立ちました。
そしてそこでようやく、その白い物体の全貌を確認したのです。
それは、小型の木製の船の上に、白い布のようなもので作られた流線型の巨大な風船が、ちょこんとくっつけられているものでした。
その風船の先は地面に立てられたポールに括り付けられており、まるで港に停泊している船のようです。(もっともここは、水の上ではなく地面の上ですが)
三人は今まで、こんなヘンテコなものを見たことがありません。
「なんだありゃ?」
ゼイラが、首をひねりながら言いました。
「あれは『飛行船』というものだ」
「ひこうせん?」
ポツリと答えたボロウ博士に、三人が声を合わせました。
「そう、“飛び行く船”と書いて、飛行船だ」
タリムは急に青ざめ、震える唇を微かに開き、声を出しました。
「……飛ぶ?ということは、もしかしてあれは……」
「さよう、自由自在に空を飛ぶことのできる船だ」
『この大空を自由に飛べるものは、逞しい翼を持った鳥しかいない』
そんな三人のこれまでの常識は、ここルドニア研究所で見事に打ち砕かれたのでした。
【つづく】
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- 2008/08/21(木) 03:16:23|
- 序:鉄籠のタルマ
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「よく来たな、勇敢な少年達よ」
ルードン大博士は、とても広い部屋の奥の、書棚に囲まれた机の前に鎮座していました。
そこには沢山の書籍の他にも、人体の解剖模型や骨格模型、天球儀や星座盤、珍しい動物の剥製や標本などが、所狭しと陳列されています。
横の大きな窓からは、海のように続く森の向こうに、ダドックの高い街並みが見えました。
ここがかのルードン大博士の書斎のようです。
「まぁかけ給え、長旅で疲れたろう」
ルードン大博士に促され、四人は部屋の中央に向かい合うように置かれた二つのソファーにそれぞれ腰掛けました。
「さて、私も忙しい。簡単に用件だけ話そうか」
そう言うと、ルードン大博士はそのまま黒い革張りの椅子の背もたれにギシともたれ掛かり、腹の前で手を組んで話始めました。
四人はソファーに座りながら、ピンと背を伸ばしました。
「前にも述べた通り、諸君らの目的はかの“得知れぬ生物”の完全なる抹殺である。しかるにその方法だが、それ自体は至極簡単。キャツをただ落とすだけだ……“カルボナル火山”の火口にな」
「カルボナル火山!?」
四人は声をあげ、目を見張りました。
カルボナル火山とは、マルゲリタの北東に位置する大きな活火山のことです。
歴史上では、これまで何度か大噴火を繰り返しているようですが、ここ百年は特に大きな噴火もなく、常にその山頂からもくもくとたくましい白煙を吐き続けています。
その雄大且つ美くしい円錐状の姿は、間違いなくマルゲリタ大陸を象徴する最も有名な山であり、また天気の良い日はマイロン市の高台からもその姿を望むことができるのでした。
「そうだ。さすがのキャツも、あの灼熱のマグマたぎる火山口に放り込まれれば、その存在を無事に保つことは適わぬであろう。諸君らはここマルゲリタの人間の中で唯一、かの“得知れぬ生物”に直接触れた者達だ。未知の“アンタッチャブル”より施されしその呪詛を解くには、諸君ら自身の手でその元を断たねばならぬ。私はそう考えている」
ルードン大博士は、タルマを直接触った者達自身が、タルマを抹殺すべきだと言うのです。
それを聞き、マゼルの頭に真っ先にある不安がよぎりました。
「あの、ではここにきていないミゼルは……」
「ミゼル。ああ、あの激情的な少女か。あれは確か君の双子の妹だったな。大丈夫、兄である君が立派に“務め”を果たせば、その栄光は妹にも無事届くであろう」
ルードン大博士の言葉に、マゼルは安堵しました。
「しかし……」
次にタリムが勇気を持って続けました。
「カルボナル火山とは、あのカルボナル火山のことですよね?その山頂には、選ばれた研究者しか登ってはいけないと聞いたことがあります。それに、僕らのような子供の足でとても到達できるような山だとは思えないのですが……」
タリムの的確な質問に、ルードン大博士はやれやれとかぶりを振りました。
「何も諸君らの足で登れとは言っておらん。それに、いくら火口の淵ぎりぎりまで行ってキャツを遠くに投げ入れた所で、とても高温部のマグマにまで届きはせんだろう。そんなことをやらせはしない」
「では一体どうやって……」
「方法については、後ほど担当の者から詳しく説明させる。君達、三人だけにな」
ルードン大博士の緋く光る隻眼が、マゼル、タリム、ゼイラに濃く向けられました。
三人は思わず身がすくみました。
「さ、三人だけ?私は……」
思わずそうポー博士が発すると、ルードン大博士の視線が今度はそちらに動きました。
「それから、ポー博士だったな」
「は、はい!」
ポー博士はその場で勢いよく、姿勢を正しました。
「研究所の職員は自分の仕事に手一杯で、子供のお守りまでする余裕はない。ここでのその少年達の世話役は君に委ねる。君も研究者の端くれなら、“研究所”という所がどんなに危険を伴う場所か知っておろう。くれぐれも勝手な真似をさせて、職員に迷惑をかけないように」
「は、はぁ」
“研究者の端くれ”という言葉がポー博士の胸に、魚の小骨のようにささやかに、しかし巨大な存在感を示しながら、刺さりました。
確かにここルドニア研究所は、マルゲリタの中でも特別に優秀な学者が集う場所です。
そこに勤めるということは、学者にとって最高の名誉であり、ステイタスなのです。
片田舎のマイロンの大学に勤めるのとは、全くわけが違います。
しかし、ポー博士にも一学者としてのそれなりの自負があります。
彼の論で言えば、彼が出世しないのは“あえてしようとしないだけ”であり、彼はあくせくした多忙な日々よりも、“平穏な日常”を得ることを選らんだにすぎないのです。
『もし自分がその気になってさえいれば、ルドニア研究所の職員にだってなれたに違いない』
その自分がわざわざダドックまで来て、ルドニア研究所にその身を置きながら“子守だけをさせられる”というのは、彼の自尊心を大そう傷付けるのでした。
『…・・・くそう』
この一見、謙抑なる博士のプライドは、実は人一倍強固で高いものなのでした。
「ボロウ、ボロウ博士」
と、ルードン大博士が誰かに呼びかけました。
すると、ここまで四人をいざなってくれた人の一人が、一歩前へと出ました。
「はっ」
ボロウと呼ばれるその人は、ぶかぶかの白装束を纏った、小柄で変に瘠せた成年でした。
ルドニア研究所の職員のようですが、ポー博士よりも幾分も若く見え、左の頬には大きな紫色のアザがあります。
「そのボロウ博士が、諸君らの担当だ。ポー博士、ここでの詳しい行動規範については、そのボロウ博士からよく聞き、指示に従いなさい。また、何か問題があればすぐボロウ博士に報告するように。分かったな」
「…はい」
「ボロウ君」
「はっ」
「手数だろうが、その者達のことを頼むぞ」
「了解しました」
三人の子供達は、ポロウ博士に軽く頭を下げました。
ボロウ博士は冷たく沈んだ視線を三人の子供達に投げかけ、それを黙殺しました。
『ボロウ博士か。…ずいぶん若いな』
それが、ボロウ博士を見たポー博士の第一印象でした。
【つづく】
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- 2008/08/05(火) 01:25:39|
- 序:鉄籠のタルマ
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○ダドック市・市街
マゼルとタリムとゼイラ、それにポー博士の四人は、マイロン市から三日をかけて馬車に揺られ、ダドック市へとやってきました。
ダドック市はマルゲリタの政治、経済、信仰の中核を担う、マイロンなどとは比べ物にならないほど大きな都市です。
マルゲリタ王の棲む、立派なお城もあります。
マゼルとタリムとゼイラの三人は、あの日ルードン大博士と面会をした後、久しぶりに帰宅を許されました。
そして各々の家で一泊だけすると、もう次の日の朝早くには、市長に用意されたダドック行きの馬車に乗り込んでいたのでした。
(ミゼルだけはもう一晩、マイロン中央会議所に泊まらされました。ミゼルがお家に帰ったのはその次の日となり、従って兄のマゼルとは顔を合わしていません)
そしてその三人には、あのポー博士が付き添い人として同行していたのでした。
マゼルとタリムとゼイラの三人は、ダドックを訪れるのは初めてです。
ダドックの市街に入ると、三人はこれまで見たこともないほど多くの人々が行きかう石畳の通りや、高い高い建物、それに大きな商店、市場などに目を奪われました。
街に溢れる活気が、マイロンのそれとはまるで違っています。
タリムなど大きな書店の前を馬車が通ると、幌から身を乗り出して覗き込もうとしていました。
「やっぱりダドックはすごいなぁ」
「あ!あれ、王様直属の護衛兵だよ、カッコいい!」
「本当だ、立派だねぇ。おーい!」
「キョロキョロするな、田舎者め」
はしゃぐマゼルとゼイラを、ポー博士が咎めました。
「……だって僕ら、田舎から来たんだもの」
「ポー博士はダドックに来たことは?」
「学生の頃はダドックの学校で学んだものさ。もう十年以上も前の話だがな」
タリムの問いに、この旅で初めて、ポー博士は自分のことを口にしました。
ポー博士は相変わらず瘠せてギョロギョロした形相をしていて、道中、子供達とは殆ど口をきくことはありませんでした。
「……ただ私も、ルードン大博士の研究所へ行くのは初めてだがな」
ポー博士は、夜のように暗い陰をその顔に落としました。
研究職にある者にとって、かのルードン大博士の研究所へ赴く行くということは、この上なく名誉なことなのです。
しかし、この懐疑主義的な博士にとって、それは大した意味をなさないのでした。
ポー博士の人生の願いとは、何も問題ごとのない平穏な日々を過ごし、それを死ぬまで静かに持続させる事なのでした。
生きる上での刺激などは一切求めず、出世願望や名誉欲とも全く無縁の男なのです。
従って、市長から仰せつかったこの三人の付き添い役も、ポー博士にとってみれば迷惑以外の何事でもないのでした。
「はぁ……」
ポー博士の淀んだ溜息よそに、三人の子供はダドックの街並みに興奮しきりです。
しかし、三人とポー博士は、何もダドックに観光をしにきたわけではありません。
馬車はそのまま賑やかな市街地を抜け、じょじょに寂しい森の中へと入っていきました。
「それにしても……」
幌の外から覗く木叢を見て、マゼルは思い出したように静かに呟きました。
「僕らは一体、何をやらされるのだろうねぇ」
○ダドック市・ルドニア研究所
ダドック郊外の深い森の奥に、ルードン大博士の研究施設“ルドニア研究所”はありました。
よほど厳重に警備されているのか、城壁のような大きな石壁がグルッと建物を取り囲むように立ち並び、外から中の様子は全く伺い知れません。
馬車は警備兵のいる正面の大きな木製の扉の前に着きました。
馬車の乗り手が警備兵に何やら書状を渡し、一つ二つ言葉を交わすと、閉ざされた扉は開け放たれ、馬車はいよいよ研究所の敷地内へと入っていきました。
× × ×
ルドニア研究所は古い煉瓦造りの、これもまるでお城のように立派な建物でした。
四人は馬車を降りると、白衣を着た研究所の人に、その建物内へといざなわれました。
研究所の中はとても広く、図書館のように整然と本棚が立ち並ぶ部屋や、多くの植物や鉱物の標本が並ぶ部屋、また、使い道のよく分からない実験器具や薬瓶がガタガタと詰まれた部屋などが幾つもあったのでした。
ある部屋などでは、累々たる動物の剥製が所狭しと並べられており、やはりミゼルは来なくて良かったとマゼルは思いました。
冷たい石壁に包まれた螺旋状の階段を上り、ルードン大博士のいる最上階の部屋の前まで連れてこられると、四人は身だしなみを整えるようにと告げられました。
四人はしゃんと背筋の伸ばし、ポー博士は洋服の皺を伸ばしたり、髪を撫でたりしました。
「用意はよろしいですね、では」
研究所の人は、重厚な漆黒の木製ドアをコンコンとノックしました。
「うむ」
聞き覚えのある、このドアに負けないほどの重厚な声が、扉の向こうで鳴りました。
その声は何度聞いても、子供達の胸をドクンと波打たせるのでした。
【つづく】
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- 2008/07/04(金) 00:29:40|
- 序:鉄籠のタルマ
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マゼルとミゼル、タリムとゼイラは三日ぶりに物置部屋の外の空気を吸いました。
四人がぐったりとソファーや床で寝ていたところ、市長が急に部屋へと入ってきて
「起きなさい。これから君達は、ルードン大博士の前に行く。決して失礼のないように、尋ねられたことにはきちんと応えるように、わかったな」
とぶしつけに言いました。
「ルードン大博士?」
と、みんなが思ったのも束の間、ドヤドヤと大人達が何人も現れて、四人の顔や体を濡れ布巾で拭いて綺麗にし、髪もクシで整えてくれたのでした。
四人は何日も部屋に閉じ込められていた疲労と、やっと部屋の外へ出られる開放感、それからルードン大博士への畏怖の混沌で、パレットの上に色んな色の絵の具を出し、グチャグチャとしたような心持ちになりました。
「用意はできたね、では着いてきなさい」
そう告げると市長はスタスタと廊下を歩きだし、四人はヨタヨタとその後を着いていきました。
マゼルは憔悴しているミゼルを支えるようにして、大人の歩調で進む市長にやっと着いていくように歩きました。
廊下の窓から射す太陽の光は、もう赤く西の空へ傾きかけています。
どうしたことか誰も聞こうとしないので、黙々と先を行く市長にマゼルが尋ねました。
「……あの、何でルードン大博士が僕らに?」
「……」
市長は何も答えません。
そう言えば、市長はいつもの清廉とした顔つきとは違い、どこかやつれて青ざめています。
タリムはついさっきまで、部屋を出たら自分達を閉じ込めた意地悪な大人達に、あれも言ってやろうこれも言ってやろうと疲れた頭で考えを巡らしていました。
しかし、“ルードン大博士”という言葉を聞いた途端、すっかりその心が萎縮してしまいました。
歳のわりに気丈なタリムも、先日マイロン大講堂で大博士に睨まれた恐怖心が湧き上がり、何だか変に喉が渇き、市長に歩いて着いていくだけがやっとなのでした。
そして、みんなが最も気にしていたことを、四人の中で一番憔悴しきっているミゼルが、乾いた唇で尋ねました。
「……あの、タルマは……どう」
市長は突然、スッと歩みを止めました。
後ろの四人も、それに合わせつんのめるように止まりました。
市長は顔を半分だけ後ろへ向けて、四人に言いました。
「……タルマ。あの得知れぬ生物のことだね。その件で、ルードン大博士から君達に話があるそうだ」
みんなの胸がドクンと鳴りました。
○マイロン中央会議所・応接室
「――と、いうわけである」
子供ら四人は立ったまま、ソファーに座って話すルードン大博士のお話に聞き入りました。
ルードン大博士のお話とはこうでした。
あれから、大人達は必死になってタルマを殺そうとしました。
しかし結局、どんな手段を用いても、タルマを殺すことは出来きませんでした。
タルマには、火も水も毒薬も、刃物も鈍器も、全く効き目がなかったのです。
困ったマイロンの大人達は、ついにはルードン大博士に助けを求めましたが、そのルードン大博士を持ってしてもタルマの正体は定かではなく、今に至るまでタルマは全くの無傷なのでした。
「……全く、奇体な生物だ。不可解極まりない」
あのルードン大博士が、半ば諦めたような表情で呟きました。
ミゼルは、ひとまずタルマが無事だとわかると、心から安堵しました。
マゼルとゼイラはふんふんとルードン大博士の言うことを素直に受けとめていましたが、タリムだけは、“大人達がルードン大博士に助けを求めた”の部分だけは嘘だと確信していました。
マイロンの大人達はあの夜、ルードン大博士にだけはタルマのことを知られまいと必死に画策していたのです。
それだのに、自ら救いを乞うようなことをするはずがありません。
きっとまた、かの恐ろしいルードン大博士の千里眼によってその謀が暴かれたに違いない!
そんなことをタリムはモヤモヤと考えていたのですが、ルードン大博士はこの部屋でタリムと顔を合わしてから、タリムに何も言いません。
ここにいる子供の一人が、数日前、マイロン大講堂で大胆にも講義に水を指した生徒だということを、ルードン大博士は認識しているのでしょうか。
いや、普通に考えて、認識していないはずはありません。
タリムは今、恐ろしさで迂闊に口も開けない状況に陥っているのでした。
「そこで――」
ルードン大博士はゆっくりと続けました。
「あの得知れぬ生物を完璧に屠り去る為、君達に協力を願いたい」
ミゼルが、ピクリと反応しました。
ミゼルと手を繋いでいたマゼルは敏感にそれを察知し、慌ててミゼルに言い聞かせました。
「落ち着け、落ち着くんだ、ミゼル。心を乱しちゃいけない」
「う〜、う〜」
ミゼルはまた目に沢山の涙をためて、ブルブルと震えだしました。
その瞳はまっすぐルードン大博士を見据えています。
脇に立っていた市長が、ルードン大博士にすばやく耳打ちをしました。
「ルードン大博士。あの子は特別、神経が細やかな子なのです。あまり過激なお話は……」
「かまわん。私は今、マルゲリタ全体に関わる重大な話をしておる。個々の子供の感性など、知ったことではない」
「……」
ルードン大博士の氷のような返答に、市長は閉口しました。
「でも、殺してしまうなんてあんまりです。あんまり可哀想です」
ゼイラが突然、声を上げました。
ゼイラは体が大きく力の強い子供でしたが、心も人一倍、強く優しい男子なのです。
ルードン大博士はやれやれと肩をすくめると一転、とても優しい口調になり言いました。
「よく聞きなさい。諸君はあの得知れぬ生物の第一発見者だそうだね。何でも“タルマ”などど名前を付けて愛玩していたのだとか。まぁ、その“タルマ”に感情を寄せるのは分からぬでもない。せっかく拾った、変わった形の生き物だからな。しかし全体、キャツはそこいらの犬や猫とは違うのだよ。そもそも、キャツは一体何を喰う?」
ルードン大博士の突然の問いかけに、子供達は戸惑ってしまいました。
タルマと出会ってからたったの小一時間で引き離されてしまったので、餌のことなど考えてもいなかったのです。
言葉の出ない四人を見て、ルードン大博士は続けました。
「各種の肉や魚、昆虫、それに野菜や木の実など、我々が思いつくものは一通り与えてはみた。しかし、キャツはそれらを一切口にしない。いや、そもそも口らしき機関が見当たらないのだがな」
口がない?子供達は驚きで目を見張りました。
「我々の常識からいくと、生物として動いているからには、何かしらエネルギーが必要となるはずだ。諸君らだって毎日、食事を取り水も飲むだろう。それはキャツもしかりのはずだ……我々の常識からいけばな。しかしキャツは、その我々の常識の外より来た生物だ。キャツの常識では、食物は口から取るものではないかもしれないし、また、マルゲリタには存在しないモノを必要としているかもしれない。ただ残念ながら、我々にはその真意を知る術がない。暫くの間は、このままでも良いかもしれない。しかし、いずれキャツが食物の問題で餓死するような事態になるやもしれん。餓死というのは、あらゆる死の方法のなかで最も辛い。出来れば、キャツを元いた場所に帰してやるのが一番だとは思うが、それこそ無理な話だろう。何せ、突然空から落ちてきたのだからな」
ルードン大博士はおもむろにソファーから腰を上げると、聖典の有り難いお言葉を述べるような身ぶり口ぶりで、四人にさらに語り掛けました。
「本来なら、キャツはここへ生きて辿り着くべきではなかった。稀に、深海に棲むグロテスクな怪魚が、死体となって海岸に打ち上げられることがあるだろう。あのように有るべきだったのだ。それが、神の悪戯、ほんの些細な気まぐれで、生きてこのマルゲリタに飛来してしまったのだ。それこそ、万に一、億に一の確率でな。結果的に、我々が優しく接することが、“タルマ”にとって長く苦痛を与えることに繋がるやもしれない。それならば、これはもともとの運命だと、速やかに葬ってやるのも手なのではないかね」
ルードン大博士のお話に、子供達は考え込んでしまいました。
確かに、タルマにとって何が本当の幸せなのか、人間には誰も分からないからです。
「うるさい!」
ミゼルが目を見開き、叫びました。
ルードン大博士に本当に噛み付くような勢いです。
「それでもタルマを殺すなんて、許せない!」
「ミゼル!」
マゼルはミゼルを落ち着かせようと、ミゼルの体をガバッと抱き寄せました。
しかし、ミゼルの剣幕は一向に収まる気配はありません。
大きな猛犬を思わせるような、物凄い力で力んでいます。
マゼルはミゼルの頭を自分の胸にうずめるようにして、強く抱きしめました。
ルードン大博士は、ミゼルの形相を全く気にかける様子も無く、続けました。
「ほほ、そうか。しかしな、キャツは今でこそ大人しくしているから良いものの、それがいつまで続くかは分からんぞ。何せ、我々はキャツのことを何も知らぬのだ。もしかして、キャツはトラやオオカミのような獰猛な生き物かもしれないし、百足や蠍のような毒を有する生き物かもしれない。今後、キャツが急に隠し持っていたキバを剥いたり、我らの頭や身体を狂わす妖しい魔術を使う可能性もある。もしそうなってからでは遅いのだ。これは人間に危害が及ぶ前に、早めに行動せねばならぬ」
「薄汚い人間なんか、死ねばいい!」
「ミゼル!」
マゼルはミゼルを抱きしめたまま、思わず叱咤しました。
それと同時に心がゾッとして、真っ暗な暗闇に足をすくわれ、落ちていくような気持ちになりました。
ここ数年、ミゼルに抱いていたモヤモヤとした雲のような違和感。
マゼルとミゼルはで双子の兄妹として、これま同じものを食べ同じものを着て、同じように生きていました。
しかし、あの鶏“ラッタ”を失った日からというもの、ミゼルは変わってしまいました。
肉や魚など、生物の体を一切食べず、身につける物も革で出来たものを嫌い、全て綿や麻製の物を使ったのでした。
それでも、お父さんやお母さんやマゼルは肉や魚のお料理は大好きだし、革のピカピカしたクツやかばんも持っています。
それらを全部やめ、捨て去ることは出来ません。
しかしこれまで、ミゼルは家族を非難したり、自分のようにしろと強要したことはありませんでした。
食事時、テーブルにはミゼル用の野菜料理と、他のみんなの肉料理が並ぶし、くつ箱にはマゼルの麻で編んだくつと、お父さんの革のくつが並んでいました。
それを、ミゼルはどう考えているのだろう。
マゼルは少しづつ大きくなるにつれ、妹のミゼルにそんな疑念を抱くようになっていたのですが、その答えがまさに今、わかったような気がしたのでした。
「なんとも過激な発言をする子じゃ。まぁよい、今のは聞かなかったことにしといてやろう」
ルードン大博士は意外にも優しい口調で語ると、傍らに立っていた白装束のお付の人に向かい命じました。
「その子は不要だ、隔離せい」
「はっ」
そのお付の人はつかつかと二人に歩み寄って来ると、マゼルの腕からミゼルえを取り上げ、ひょいと肩に担ぎ上げてしまいました。
「はなせ、馬鹿、はなせ!」
ミゼルはかかえ上げられながらおもいきり手足をじたばたさせましたが、お付の人はそんなのはものともせず、部屋からさっさと出て行ってしまいました。
「泥棒!ミゼル、ミゼル!」
「安心せい、悪いようにはせん。また少し、元の部屋に戻るだけだ」
マゼルはあっという間の出来事に狼狽しましたが、ルードン大博士の一言にたしなめられてしまいました。
この悶着の合間を見計らい、タリムがようやくルードン大博士に対して口を開きました。
「それで……僕たちは何を協力すればよいのでしょう」
「ああ、そうだったな」
ルードン大博士は残った三人の方へ向き直ると、改まった様子で言いました。
「キャツを葬り去る大事な役目を、諸君ら三人に委ねたいと思う。これは使命だ。」
「!?」
マゼル、タリム、ゼイラの三人は思わず目を丸くしました。
これまで、大人達があらゆる手段でタリムを殺そうとしたのに叶わなかったのです。
自分たち子供に、一体に何が出来るというのでしょう。
「まぁ驚くな。手段自体はいたって簡単だ」
「い、一体どうやって……」
「その方法は後ほど伝える。ダドック市にある、私の研究所に移ってからな」
「ダドック!?」
ダドック市とは、マルゲリタの中枢となる大都市です。
ここマイロンからは馬車で何日もかかる所です。
「ああ。すでに“タルマ”は私の研究所に移しておる。私もこれからすぐにダドックへ立つ。君達も一度家に帰ってから、身支度を整えなさい」
あまりの急なお話しに、マゼル、タリム、ゼイラの三人は顔を見合わせました。
【つづく】
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テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学
- 2008/06/26(木) 21:42:10|
- 序:鉄籠のタルマ
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