廻るピッツァの星 -A Story of Seven Seeds-

天動説が公認されている異世界を舞台にした、オリジナル小説を綴るブログです。

序:鉄籠のタルマ 06/16 『ミゼルの過去』




マゼルとミゼル、タリム、ゼイラの四人は別の部屋に連れて行かれ、外から鍵を掛けられてしまいました。
小さな窓しかないその薄暗い部屋は物置として使われているようで、大きなソファーだとか椅子だとかテーブルだとかが雑然と置いてあり、なんだかとても埃っぽいところなのでした。

ミゼルはさっきまで何時間も泣き喚き、部屋の扉を蹴ったり叩いたりしていましたが、ついには力が尽き果て、ソファーの上でスウスウと糸のような寝息を立てて眠ってしまいました。
涙の跡が薄く滲むミゼルの寝顔を眺め、マゼルはある出来事のことを思い出していました。

もう何年前のことだったでしょう、マゼルとミゼルの近所の家では、庭先で鶏を何羽も放し飼いにしておりました。
そのうちの一羽をミゼルは特に気に入っており、“ラッタ”と勝手に名付けては、駆けっこをしたり抱っこをしたりして、一緒によく遊んでいたのでした。
ところがある日、ミゼルがいつものようにラッタの好物の菜っ葉を持って会いに行くと、そこにもうラッタの姿はありませんでした。
そのお家の人に所在を尋ねても、「ラッタなんぞ知らん」というだけです。
ミゼルは自分の足でいけるだけ、そこいら中を探しまわりましたが、ラッタはどうにも行方知れずなのでした。

ミゼルはそれからしばらく、すっかりしょげて暮らしていたのですが、その出来事は突然露顕しました。
ラッタが居なくなった次の日の晩、マゼルとミゼルの家の食卓に並んだメインの皿が、実はおすそ分けで貰ったラッタの肉だったのでした。
ミゼルはそれを知るやいなや、半狂乱の気違いのようになりました。
そして何日も何日も、メソメソメソメソ泣き続けたのでした。

それ以来、ミゼルは生き物の体を食うのをパタリとやめました。
お母さんが一生懸命にこさえた料理でも何でも、そこに動物や魚が少しでも混じっているようなら、それを食すのを一切拒否したのです。
マゼルとミゼルのお父さんは漁師です。
魚を捕るのが仕事のお父さんは、そんなミゼルに内心穏やかではありません。
お魚を食べる食べないで、お父さんとミゼルの間に思い出すのも嫌なくらい散々の衝突がありました。
お父さんが罰としてご飯を一切抜きにしても、ミゼルは何日もそれに絶え、しまいには寝込んで学校を休んでしまうほどなのでした。
そして結局、折れたのはお父さんの方でした。
それからというもの、家での食事はいつもミゼルだけが肉・魚のない別の献立となったのでした。

一度ミゼルが酷い病気をした時、お父さんとお母さんが内緒で、魚の肝の薬をミゼルに飲ませたことがありました。
ミゼルは臭いですぐそれに気づき、この時もたいそう騒いだものでした。

「他の生き物の命をとってまで、私は元気になりたくない」

ミゼルは他の誰よりも繊細で、澄んだ心の持ち主なのでした。
せっかく仲良くなった不思議な生き物・タルマが殺されてしまうのは、マゼルもとても悲しいことです。
でもミゼルはそれよりももっともっと、悲しい想いをしているのだとマゼルは分かっているのでした。

そしてミゼルほどでなくとも、「どうにかしてタルマを助けてあげたい」という想いは、一緒に閉じ込められているマゼルもタリムもゼイラも同じなのでした。
今頃タルマはどんな目に遭っているのでしょう、何か酷いことをされているのではないでしょうか。
そう考えるだけで、子供らの心は悲しく明滅するのでした。

 ×      ×      ×

四人があの部屋に閉じ込められてから、三日目の朝を迎えました。
その間、ポー博士と市長をはじめ、大人達はみな大変困っておりました。
タルマを殺してしまおうと決めてはみたものの、その手立てがことごとくうまくいかないのです。

まず、力自慢の兵士が子供の背丈程もあるような大きなカナヅチで、床に置いたタルマを思い切り打ちつけました。
何度も何度もタルマに大カナヅチを振り下ろしたのですが、「ガキン!」と大きな金属音がするだけで、丸まったタルマの殻は一向にへこむ気配がありません。
また、鋭い刃のノコギリを用意して、それでエイヤっと引いてみたりもしました。
しかし、これもノコギリの刃の方が欠けるだけで、タルマの体はやはりびくともしません。
それから鉄の炉に入れて燃やしてみたり、火薬を仕掛けて爆破させてみたり、強い薬に一晩漬けて溶かそうとしたりもしました。
しかしどれもこれも役には立たず、終えてみるとタルマは何事もなかったかのようにまたキュルキュルと手足を伸ばして元気に動き回るのでした。

タルマを覆う白い殻は想像以上に強固なもので、大人達がどれだけ知恵を絞ってみても、結局傷一つつけることは出来ませんでした。

「……化け物だ」

市長とポー博士はつぶやきました。
“決して殺せない生き物”、そんなものが本当にこの世にいるのでしょうか。
それともやはり、こやつはマルゲリタの常識の範疇を超えた、異界よりの来訪者なのでしょうか。
この有様を見るかぎり、どうにもそう認めざるをえない気がしてきます。

大人達の万策尽き果てたその時、市長やポー博士が最も恐れていた事態が起きてしまいました。
ルードン大博士が、マイロンに再訪したのでした。

【つづく】

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  1. 2008/05/30(金) 01:22:53|
  2. 序:鉄籠のタルマ
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序:鉄籠のタルマ 05/16 『大人たちの会議』




○マイロン中央会議所

マイロン市の中心に位置する“マイロン中央会議所”には、多くの人たちが集められました。
もうとっくに夜は更けていましたが、この“流れ星が墜落した”という非常事態に、市の重要人物を中心に特別召集がかけられたのでした。
まず、マイロン市長です。
マイロン市長は豊かな口ひげを持つ、背の高いたいそう立派な紳士です。
こんな夜更けなのにきちんと法衣に身を包み、一番に現れました。
それから学者のポー博士。
ポー博士はマイロン大学の動物学の先生なのですが、とても瘠せた頼りない風貌にギョロギョロした目をしていて、みんなの中で一番端の離れた場所に座りました。
他にも副市長や星が落ちた村の村長、それに兵隊さんやら何やらと勢ぞろいし、会議所は一種厳かな雰囲気を呈していました。

マゼルとミゼル、タリムにゼイラは勿論、マゼルとミゼル、ゼイラのお父さんとお母さんも呼ばれています。
タリムのお母さんだけは来ませんでしたが、かわりにタリムの叔父さんという人と、タリムよりだいぶ年上に見えるサータという従兄弟が来ていました。

タルマは逃げ出さないよう、小型の獣を入れる為の鉄籠に入れられ、会議場の前にかしこまって置かれています。
先ほどまでは中でキーキーとせわしなく動いていましたが、今は静かに丸まって寝ているようです。
集まった大人達はそんなタルマを訝しげな目で見ては、口々に小声で述べていました。

「あれは一体何だろう」
「あんな生物は見たことも聞いたこともない…」
「何でも夜空から堕ちてきた流れ星だとか」
「ではあれは、天上から遣わされた天使なのでは?」
「そうか、神様の遣いなのかも」
「まさか…」

そして、

「流れ星が地面に落ちるとは、これまた稀有なことがおきたものですな」

市長もまた、鉄籠を一瞥して言いました。

「しかも落ちた星が生き物だとは、ことさら奇態な話だ。そうすると、夜空の星はみんなこのようなものなのかね、ポー博士」
「…それはわかりません。そもそも、その巨大な虫が、本当に星であるかどうかが疑問ですが…」

ポー博士が眉間にしわを寄せたまま、市長に応えました。

「しかしあの地面の窪みからして、空からこれが落ちてきたことは明白であろう。ちょうどその場所に流れ星が落ちたのを見たという子供もいる。そうだな」

市長から視線を受け、タリムはコクリとうなずきました。

「分かりません、分かりません……」

ポー博士は頭を抱えてうつむいてしまいました。
この事態に一番困惑しているのは、ポー博士のようです。

「…すいませんが私はとても気分が悪い、昨日からどうも胸の辺りがモヤモヤしてね。悪いのですが、私は失礼させていただく。ここにはもう一秒だっていたくない」

ポー博士はガタリと席を立ち、そそくさと会議場を後にしようとしました。
誰の目にも、ポー博士は本当に具合が悪いのでなく、この厄介な一件から関わりたくないが為に嘘をついていることが明白に見て取れました。

「では!」

突然市長が、会議場全体に響き渡るような声で叫びました。

「これはもう、ルードン大博士にお伺いを立てるしかありませんな」

ポー博士はギクリとして歩みを止めました。
いや、博士だけではありません。
その言葉に、会議場の空気が鍛えられた腹筋のようにギュッと引き締まるのが伝わってきます。
こんな立派な大人達が集まっても、ルードン大博士とはそれほど恐ろしく、怖く思われる存在なのでした。
ポー博士はくるりと踵を返し、険しい形相で市長のもとまで進みました。

「市長、それはおやめください。あの方をこのことに巻き込むのは得策ではありません」
「ほう、なぜかね」
「市長もここにいる皆さんも、事の重大さをまったく理解していない。本当に、そこらの子供と思考が同じ程度だ。全くやり切れない」

市長はポー博士の言い方に、少し憤慨の色を見せました。
ポー博士はその市長になるべく顔を近づけ、市長を嗜めるように、押し殺すような低い声でゆっくり言いました。

「よいですか。そこの白い物体が、もし、万が一、天から落ちてきたものだとしましょう。そうすると、どうなりますか。それは、人外より来たりし異界の生物となります。ライラ教の聖典には、この世界の森羅万象は神が創られ、世界は全て神の意思によって動かされているとあります。その世界の中心にここマルゲリタがあり、マルゲリタを中心に世界は廻っているのです。それがマルゲリタの天上にも世界があり、生物がいるようなことになってごらんなさい。聖典の内容は偽りで、これまでのルードン大博士の教えを覆すものとなりますぞ」
「うむ……」
「天使だなんてとんでもない、その生物はこの地にあってはならない、言わば悪魔です。私には分かるのです、その生物は普通ではない。神のご意思で創られた他の生物とは違う、何か、人為的で作為的ものを感じるのです。全く、得知れぬモノです」
「……」
「そんなものがマイロンに落ちたなどと広まってみなさい。ここマイロンは、悪魔の降り立った地として、マルゲリタ中に知れ渡ってしまいます。そうすれば、いったいどんな仕打ちを受けるか分かったものではない」

会議場はシンと静まりかえってしまいました。
そうです、これまでも悪い思想が広まったり、流行り病が広がった地域は、ルードン大博士の指示の元に隔離されたり、卑下されるようなことが幾つもあったのです。

「……では、どうすればよいとお思いか」

ポー博士は、しっかりと確信を持った強い目で言いました。

「なかったことにする、のが一番でしょうな。そんなモノは、最初からここにいなかった」
「と、言うと……」
「抹殺しましょう」

会議場内が低くどよめきました。

「市長、それしか方法はありません。かの生物の正体が何であろうと、マイロンの平常を維持する為には、それが一番なのです」
「……」
「やめてぇ!」

会議場に来てから一言も発していなかったミゼルが、突然叫び声をあげました。

「駄目、そんなの、絶対駄目ぇ!」

市長とポー博士に食ってかかろうとするミゼルを、マゼルが慌てて制しました。
市長とポー博士は、ミゼルを軽く一瞥しました。
それは、子供の言うことに全く耳を傾ける気など無い、大人の非情で冷徹な目でした。
ミゼルは敏感にそれを察知すると、くるりと向きを変え、鉄籠の方へ全力で駆け寄りました。
ミゼルは勇敢にも、タルマの大人からの奪還を試みたのです。
しかし鉄籠の周りには体の大きな警備兵が二人もいて、マゼルはそれにあっさり捕まると、乱暴に地面に押さえられてしまいました。

「ミゼル!」

お父さんとお母さんは、その様子を見て真っ青になりました。

「離せ、離せ馬鹿!」

ミゼルは腹ばいに倒されながら、ギャーギャー泣き喚いています。
妹のミゼルが無理に押さえつけられているのを見て、兄のマゼルも黙っていられません。

「ミゼルを離せ!だいたい、なんでタルマを殺さなくちゃいけないんだ。タルマは何も悪いことをしていないんだぞ、そんなの可哀想じゃないか!」
「そうだそうだ、オイラもそう思うぞ!」

ゼイラもマゼルと一緒に叫びました。
タリムだけは下唇を噛んで黙ったままです。

「ええい、子供達を全員隔離しろ。別室へ連れていけ!」

市長の指示に、大会議所の警備兵達がわらわらと子供達に近づき、タリムを含め全員をひょいと担ぎ上げてしまいました。

「お父さん!お母さん!」

子供達の悲痛な声に、お父さんもお母さんもオロオロするばかりです。
警備兵は子供達を担いだまま、さっさと会議場の外へ出て行ってしまいました。

「市長!」

子供達の家族が市長に駆け寄りました。

「……大丈夫、別の部屋に行ってもらうだけだ。この話は、あの子達の前ですべきではなかった。軽率でしたな」

市長は少し肩を落としました。

「あの子達は当分、この会議所で預かることになる。この事を他言されては、マイロン全体の為にも、あの子達の為にもならない。それは良いですね」
「……」

マゼルとミゼル、ゼイラの両親、それからタリムの叔父さんと従兄弟も、全員黙ってうつむいてしまいました。
そうです、確かに、市長の言う通りなのです。
このままではあの子供達が“悪魔に触れた子”として、マイロン、いや、マルゲリタ全体に忌まわれる可能性があるのです。
もしそうなれば、あの子供達の未来はきっと、真っ暗な地獄のようになるに違いありません。
ここは黙って、市長に従うよりないように思われたのです。
市長は気を取り直し、会議場全体の人々に言いました。

「さて諸君、お聞きの通りだ。今夜、マイロンでは何も起きなかった。いつも通りの、実に穏やかで静かな夜だった。そういう風にしなければなりません。しかしながら、森にあの得知れぬ生物が落ちた音を聞いた者は多い。皆さんには、そういった人達に何もなかったように思わせる手立てを今から話し合っていただきたい。私とポー博士は、あの奇怪生物の今後の処理について考えます」

市長はそう言い終えると、ポー博士に強い眼光を向けました。
ポー博士はその市長の目を見て、いよいよ覚悟を決めたように、ゆっくりと頷きました。

【つづく】

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  1. 2008/05/23(金) 03:18:56|
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序:鉄籠のタルマ 04/16 『生きた流れ星』




○マゼルとミゼルの部屋

夜のどん帳がすっかり落ちきり、もうマゼルとミゼルは眠る時間です。
二人は綿の柔らかな寝巻きに着替え、屋根裏の自分たちの部屋で就寝の仕度をしていました。
ミゼルのベッドの上には、フェルトで作られた、牛や馬や羊や蛙などの沢山の動物のお人形が並べられています。
ミゼルはいつも、この小さなお友達の中にうずくまるように眠るのでした。
ミゼルはふと窓際に立ち、そこから覗く夜空を眺めました。
もうすっかり自分のベッドにもぐり込んだマゼルが、ミゼルの様子を見て尋ねました。

「何を見ているの?」
「お星様。今夜はいっそう、綺麗に見える」
「ふーん、そう」

マゼルはまったく興味のない風に、ゴロリと寝返りをうって向こうを向きました。

「今日タリムが言っていた、お星様は色々動いてるって。でも、こうして見てもちっとも分からない。タリムは今も、おうちでこの空を眺めているのかな……」

これまで何の気なく見上げていた夜空ですが、あの物静かなタリムをルードン大博士に挑ませるほどに衝き動かす原因がそこにあるのかと思うと、あのがらんとした冷たそうな空間が、何か熱くたぎる秘密の集まりのように感じるのでした。

「もう寝ないと、お母さんに叱られるぞ」

向こうを向いたままのマゼルがそう口にした時、ミゼルの目に、漆黒の夜空を垂直に切り裂くひと筋の光が映りました。

「あ、――」

流れ星。
ミゼルがそう口にしようとした刹那、“ドーン”というカノン砲のような低い音が、遠くの方で鳴り響きました。
マゼルは思わず、布団から飛び上がりました。

「な、何だ?」
「……落ちた」
「え?」
「落ちたのよ、流れ星が」
「まさか……」
「ううん、見たもの。確かに今、流れ星が落ちた。あっちの方に」

ミゼルは異なものを目撃した興奮を抑え、窓の遠く、コルデ山のふもとを指しました。

「見に行こうか?」
「うん!」

マゼルとミゼルは急いで服を着替え、蝋燭の入ったランタンを持ち、そうっと家を飛び出しました。
お父さんとお母さんは次の日の仕事が早いので、もうとっくに寝ていて音には気付いてないようです。

ああ、夜空に煌くお星様が落ちてきた。
お星様とは、ぜんたいどんなものだろうか。
お家に持って帰っていったりしたら、もう蝋燭やランプはいらないのだろうか。
それを小さく砕いてネックレスやペンダントにしたら、どんなに素敵だろう。
マゼルとミゼルはそんなことを色々と考えながら、コルデ山のふもとまで風のように走りました。

○コルデ山のふもと

「確かこの辺りだと思うのだけど」

マゼルとミゼルは、鬱蒼とした薄暗い森の中にいました。
流れ星が落ちたと思う辺りを一生懸命探し歩いているのですが、なかなかそれらしいものが見つかりません。
あるのは競い合うように聞こえる虫の音ばかりです。

もう空から落ちたお星様は、光ることをやめてしまったのでしょうか。
もしそうなら、この暗闇でそれを見つけ出すのはとても困難です。
ランタンの蝋燭が無くなってしまう前に、おうちに帰らなくてはいけません。
そろそろ二人が諦めかけたその時、ミゼルが森の向こうで、何かが仄かに光っているのを見つけました。

「あそこ!」

二人はまるで狂喜して、その光に向かい一目散に駆けました。
光のもとには、すでに三人の人影が見ます。
その三人とは、タリムとゼイラ、そしてゼイラのお父さんとおぼしき人でした。
落ちた星は、大きく窪んだ穴の底にあるようで、それを三人は上から覗き込んでいるのでした。

「タリム!ゼイラ!」

マゼルとミゼルは叫びました。

「君たちも来たのか」

タリムは二人の声に気付いて振り向くと、静かに応えました。

「君たちの家は遠かったろうに、走ってきたのかい」
「うん。タリムも星が落ちたのを見たの?」
「……ああ、調度ね」

言葉少なげに語るタリムですが、しかしその実、タリムがひどく興奮しているのが二人には伝わりました。
目の輝きが爛々として、学校にいるいつものタリムとはまるで違っているのです。

「ゼイラも」
「オイラんチはすぐそこだからな。でっかい音がしたから、父ちゃんと飛び起きてすぐ来たんだ。母ちゃんと弟たちは家に置いてきた」

ゼイラは、マゼルやミゼル、タリムのひとつ上級生で、学校いち力持ちの体の大きい生徒でした。
そしてそのお父さんも、ゼイラに似て力がたいそう強そうに見える人なのでした。
職業は確か、マイロン市の兵隊さんだったはずです。

さてそのお星様は、空から落ちた衝撃で出来たと思われる窪みの底にありました。
それはまるで、ニワトリの卵の殻のように艶のない白い素材でできた、小さなスイカほどの玉状のものでした。
よく見ると縦や横に溝が入り、何やら幾何学的な模様を見せています。
そしてさきほどから蛍のように、白い体全体が、鈍く光ったり消えたりを適度に繰り返しているのでした。

「あれが、お星様?」

何だか思い描いていたお星様とはえらく様子が違うようで、マゼルがタリムに尋ねました。

「……わからない」
「私、触ってみようかしら」
「よせ!」
「おい、熱いんじゃないか?」

ミゼルが窪みの中に入ろうとするので、タリムとゼイラのお父さんが慌ててそれを制しました。
確かに、玉の辺りにはさっきからモクモクと煙が立ち登っています。
タリムはその辺に落ちていた小枝を拾うと、ヒラリと窪んだ穴の中へ入っていきました。

「あ!」
「大丈夫かい?」

タリムは無言で玉に近づき、小枝の先をそれに押し付けました。
しばらく押し付けてから、小枝の先を自分の指で確認するように触りました。

「大丈夫、熱くはないようだ。でも……」
「でも?」
「こいつがもし本当に空から落ちてきた星だとしたら、マルゲリタとは全く違う、異世界から来たものとなってしまう。それを無闇に触ってしまって良いのだろうか」
「……」

そんなこと誰もわかるはずもなく、全員しばらく黙ってしまいました。
しかしこうして見る限り、ペカペカと光るこの小玉が、もともとマルゲリタにあったものだとはどうしても思えないのでした。
これまでみんなが見たことがある、あらゆるものと違う、何か異質な感じがするのでした。

すると突然、その小玉が急にガタガタと暴れるように震えだしました。
タリムは慌てて小玉から離れ、窪みの外に這い出ました。

「なんだなんだ!?」
「動いたぞ!」

しばらく五人は窪みの上からその様子を見ていたのですが、どうも小玉の様子がおかしいのです。
小玉は激しく明滅を繰り返し、終始ガタガタと揺れています。五人は狼狽しました。

「これ、どうなるんだ?」
「わからない……」
「……」

その時、ミゼルが窪みにサッと飛び込み小玉に近づくと、それをひょいと抱き上げてしまいました。

「あっ!」

全員が息を飲みました。
ミゼルには、なんだかこの小玉がもがき苦しんでいる赤ん坊のように思えて、いてもたってもいられなくなったのでした。
兄のマゼルは、その様子を見て一番真っ青になりました。

「ミゼル、何してるんだ!よせ!」
「だって!」
「馬鹿、すぐ離すんだ!」

ミゼルはマゼルの叱咤を聞いても小玉を離そうとしません。
ブルブルと震える小玉を、ひしと抱きしめています。

「どうしたの?どこか痛いの?可哀想に」

まじかで小玉をよくよく見ると、玉の溝が少しだけ開こうとパクパクしています。

「開けたいの?」

ミゼルはその溝に指を入れ、無理に開こうとしました。

「何をしてる、駄目だってば!」
「もうよせ!」

そうマゼルとタリムが叫び、ミゼルに駆け寄った瞬間、小玉の溝はカパンと開き、カッ!と中から眩いばかりの光が溢れ出しました。

「わあ!」

目も眩むようなその光に襲われ、みんなは一斉に顔を背けました。
やがてその光はやみ、辺りをまた漆黒の闇が包み込みました。
みんなはチカチカする目を擦りながら、恐る恐るミゼルの方を見てみると、ミゼルの腕には大きなダンゴ虫のような生物が抱かれていました。

「ええっ!?」

その虫の体は、さっきの小玉と同じ、艶のない白い殻のような質感で出来ています。
そうです、あの小玉が、妖しげな白いダンゴ虫状の生物に変身したのでした。
このあまりの出来事に、みんなは言葉を失いました。

「良かったね、なかなか開くことができなかったんだね」

ミゼルだけが上機嫌で、ダンゴ虫のようなその生き物の体を撫ぜています。
小玉の虫は、腹の下にある無数の節足をカシャカシャと動かしました。

「それがさっきのアレ……なのか?ミゼル、大丈夫か?平気か?」
「大丈夫、大丈夫」

心配で汗をダルダル流すマゼルをよそに、ミゼルは実にあっけらかんとしたものです。

「うふふ、可愛い」

 ×      ×      ×

マゼルは恐る恐るミゼルの腕にいる小玉の虫を触ろうとしますが、なかなか手を出せずにいました。

「何してるのお兄ちゃん。怖くない、大丈夫だよ」
「うるさい、分かってるよ!」

マゼルはようやく、指先で虫の表面を撫でてみました。
玉の虫の表面はやはりニワトリの卵の殻のようですが、でも卵の殻よりはずっと硬いようです。
タリムはそれをコツコツと確認するように爪で突付いちました。
触り心地は冷たい石のようだけど、しかし羽根のように軽い体をしています。

「どうやら甲殻類のようだけど、こんな生き物は家の図鑑でも見たことがない。一体何なんだろう」
「オイラにも、オイラにも触らして」

マゼルもミゼルもタリムもゼイラも、小玉の虫をペタペタと触りました。
小玉の虫は嬉しそうに体をくねらし、体の節々からキュイーンキュイーンと細かな音がします。
その様子がなんだか可笑しくて、皆は笑いました。

「あはは、何だ」
「そうだ、名前を付けなくちゃ。名前……タルマというのはどうかな」

ミゼルが突然、提案をしました。
タルマとはここの言葉で「丸いもの」という意味です。

「タルマかぁ。タリム、どうなんだろう」
「そうだな、こういうものは普通、第一発見者に命名権があるんじゃないかな」
「じゃあオイラだ」

ゼイラが手を上げ、しばらく考え込んでから、言いました。

「まぁ、タルマでいいんじゃないか」
「わーい、じゃあタルマだ」

ミゼルははしゃいで、タルマと命名されたばかりのそれを高い高いしました。

「なー、父ちゃんも触ってみれば?」
「嫌だね、気色の悪い」

さっきからゼイラのお父さんは一人だけ、タルマに近づこうとしないのでした。
ゼイラのお父さんは顔を背けながら言いました。

「しかしそんな奇態なもん見つけちまったら、黙ってるわけにはいかんわな。役場なり大学の学者さんに、そいつを報告する必要があるだろ」

「……え?」

ゼイラのお父さんの言葉に、子供達は一斉に動きを止めました。
てっきり、このままタルマをおうちに持って帰って、楽しく一緒に過ごせるものだとばかり思っていたのです。
その時です、森の向こうから、灯を持った多くの人たちがドヤドヤ集まってくるのが見えました。

「どうしたどうした」
「何ごとだあ」

星の落ちた音を聞きつけて、ようやく周辺の人が集まってきたようです。
近づく大人らの声に、子供達は少し不安な気持ちになりました。

【つづく】

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  1. 2008/05/16(金) 20:58:30|
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序:鉄籠のタルマ 03/16 『家族…』

○マゼルとミゼルの家




その日の夕食どき、マゼルとミゼルの双子の兄妹は、今日講堂であったことをお父さんとお母さんにお話ししていました。

「うーん、そうか。懐かしいなぁ」

お父さんは魚の煮物の入ったお椀に入れたスプーンを止め、思い出すように語りだしました。

「父さんも昔、マイロン大学の講堂で、ルードン大博士の星の講義を聞いたことがあるぞ。あれは今も父さんの仕事に役立っているな。夜の漁では陸が見えない、だから船の方向を定めるために、星の位置を知ることがとても大事なんだ」

マゼルとミゼルのお父さんの仕事は漁師です。
ここマイロン市は海に面した街で、お父さんはかつて、マイロンでもいちにを争うほど優れた漁師なのでした。
若くして立派な船を三隻も持ち、十人の屈強な漁師を雇って、毎日海に出ては沢山の魚を獲っていました。

しかしもう何年前のことでしょう、漁中に偶然引っ掛けてしまった巨大な海獣に襲われ、お父さんは片足を傷めてしてしまいました。
仲間に助けられて何とか陸に戻ったものの、それから何日も高い熱を出し、寝たきりの状態となってしまいました。

やがて熱も下がり、お父さんの足の具合もよほど良くなりました(それでもまだ少しびっこを引いていますが)。
しかし、その時にはもう三隻の立派な船も十人の屈強な漁師もなく、お父さんは残された小さな船で、一人細々と漁に出ることになっていました。
当然、漁の稼ぎはそれまでとは比べ物にならないくらい減ってしまいました。
しかしそれでもお父さんは痛む足を我慢して懸命に働き、家族四人がちゃんと暮らしていけるだけの魚を獲ってきてくれるのでした。
そんなお父さんを、マゼルは本当に心から尊敬していました。

「ルードン大博士のお話しを聴く機会などそうそうないのだから、二人とも今日はためになったな」
「でも、ルードン大博士にタリムが意見したよ。それで、ルードン大博士はたいへん怒ったようだった」
「とっても怖かったわ」
「まぁ、タリムは何を意見したの?」

マゼルとミゼルに、お母さんが目を丸くして尋ねました。

「僕、難しくてわからないや。でも、星に関することだったよ」
「タリムは、ルードン大博士の言うことは本当なのかと尋ねていたわ」
「……ルードン大博士は嘘なんか言わないだろう」

お父さんは少し呆れたように言いました。

「でも、タリム君はムクリ博士の一人息子ですからね。きっとムクリ博士の本を沢山読んでいて、皆とは考えることが少し違うのでしょう」

タリムのお父さんは、マイロン大学に勤めていた学者さんなのでした。
何でもこの世界の仕組みを主に研究していたとかで、マゼルとミゼルがタリムの家に遊びに行くと、家中に難しそうなぶ厚い本が沢山置いてあったものでした。

でもニ年前のある日、タリムのお父さんは隣町に向かう途中の山道で落石に合い、馬車もろとも押し潰されて死んでしまいました。
残されたタリムのお母さんは、その悲劇が元で心が壊れてしまったそうで、それ以来タリムは自分の家に友達も誰も呼ばなくなってしまいました。
それから、タリムの笑った顔を見た人はいません。
いつも学校が終わると一番に家に帰って、お母さんの面倒を見たり、何かを熱心に勉強したりしているようなのでした。

「僕、タリムは可哀想だと思う」

マゼルがポツリと呟きました。

「そんなこと言うものではありません。タリムはよほどしっかりやっているのだから、哀れんだりしたらいけません」

お母さんが珍しく、厳しい口調でピシャリと言いました。
お母さんとタリムのお母さんは、昔から友達だったということです。

マゼルは思わず黙ってしまい、食卓の空気が少し重くなりました。
四人の顔を、ロウソクの緩い灯りがゆらゆらと照らします。
お父さんとお母さんとマゼルは、静かにパンとお魚の煮物をパクパクと食べました。
ミゼルだけは魚ではなく、野菜のスープを隠すように、コソコソとスプーンですくって食べるのでした。
やがて沈黙を恐れたミゼルがスプーンをテーブルに置いて、お父さんに尋ねました。

「ねぇお父さん、あの海の向こうは一体どうなっているの?」
「うん。海の向こうをどんどん行って、さらにまたどんどん行くと、そこは大きな滝になっていて、海の水が全部落ちているんだ。その下には恐ろしく巨大な化物がいて、落ちてきたものを何でも飲み込んでしまうらしい」
「お父さんはそれを見たことある?」
「まさか。それを見るということは、もう滝に落ちるってことだ。滝を見て無事に戻ってきた者はいないよ。しかしそれ以前に……」

お父さんはコップに注がれた葡萄酒をグイッと飲んでから、独り言のように呟きました。

「船で遠海に出ることは、戒律で禁止されている。きっと向こうには、ここいらよりももっともっと、いい魚がうようよいるんだろうけどな。テクショウめ」

お父さんが言うには、漁師の人たちは更なる獲物を求め、より遠くの海まで行ってみたいと考えている人が沢山いるのでした。
しかし、昔からライラ教の戒律では船で陸が見えなくなるほど沖に出ることは禁止されていて、それを破ると捕まって牢屋に入れられてしまうのでした。
だから、誰も遠海に出ようとする者はいません。
滝となっている海の果ては、きっとそのもっともっと向こうにあるはずなのですが……。

この決まりを作ったのも、あのルードン大博士です。
ルードン大博士はさらに、決められた大きさ以上の船を作ることも持つことも、厳しく禁止していました。
小さな船で遠海まで出ることは、まさに自殺行為なのでした。

そして「テクショウ」とは「チクショウ」のことで、お父さんは悔しい思いをした時、その感情を半ば茶化すように、独自の言い回しでこう言うのでした。

「……テクショウめ」

【つづく】

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  1. 2008/05/09(金) 23:42:32|
  2. 序:鉄籠のタルマ
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序:鉄籠のタルマ 02/16 『タリムの仮説』

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「わ、私は!」

タリムは次にルードン大博士が発する言葉を遮るように、叫びました。
ここで大博士に口を開かせると、その迫力と威厳に圧倒され、もう何も話せなくなるような気がしたのです。

「私はもう何年も、毎日夜空の星の動きを観察しています。雲で星が見えない日以外は、全てです。そこで気がついたのは、惑星のあまりに複雑な動きです。惑星がそれぞれの天球に乗って廻っていることは分かりますが、その運行はそう簡単なものではありません。あの立派な太陽は、季節によって速度や動きが明らかに変わります。いや、太陽などまだいい方です。月などはもっと複雑で、全く手に負えません。他の小さな惑星も、日々明るさが変化すると共に、東へ順行していると思えば西へ逆行をしたり、また、円を描いて移動したりします。この不思議な現象を、一体どう解釈したらよいのでしょう」

タリムはここまでを一気に、まくし立てるように話しました。

「どうか、ルードン大博士のおこたえを承りたく……」

右手の手の平を胸にかざし、タリムは深々と頭を下げました。
大講堂中に緊張の糸が張り詰められ、真冬の朝の空気のようにピンと凍りつきました。
そしてしばしの沈黙の後、ルードン大博士がゆっくりと口を開きました。

「今、惑星の明るさが変化すると言ったね。一体どうやってそれを?」
「自分で、遠眼鏡を作ったのです」
「……トオメガネ」
「はい。研磨したガラスレンズを二つ使って、これを作りました」

タリムは、思いがけないルードン大博士からの質問に気を良くしたのか、少しだけ明るい声になると、その“遠眼鏡”とやらを机の下から取り出しました。
それは木で作られた、細長い筒状のものでした。
筒の両端にはレンズが付けられていて、中を覗けるようになっているようです。

「これを使えば、星はずいぶん近く見えます。惑星の明るさの多寡も、これで分かりました」
「ふむ、何とも……」

ルードン大博士はその長い髭を撫で、少しだけ考えてから、

「よろしい、特別に応えよう」

と言うと、またもとの教壇の位置へ戻りました。
ルードン大博士の想定外の講義続行に、お付きの人など、周囲の人々は驚きを隠せない様子でした。
あの機械のように正確に物事を進めるルードン大博士が、子供に乞われ予定を変更するなど、これまで無かったことなのです。
ルードン大博士は星の講義を再開しました。

「まず、なぜ太陽は冬にはゆっくり、夏には速く動くのか。これは太陽を乗せた天球の中心がマルゲリタの中心からずれているに他ならない。このずれが原因で太陽は季節によって遅かったり速かったりと、違う運行を見せるのである。また月であるが、これも同じく月の乗った天球の中心が、マルゲリタのそれよりずれているのからである。最も、月の天球は太陽のそれとは比べ物にならないくらいにずれて動くので、ああいった複雑怪奇な運行になるのである」
「はい、太陽と月は、マルゲリタを中心に廻ることはわかりました。では、他の惑星はどうでしょう。惑星は日々明るさが変化すると共に、時には星座の間を西に動いたり、東に動いたりします。天球はみんな一方向に廻っているはずなのに、なぜこんな逆行をするのでしょう」

マゼルとミゼルはもう、タリムの言うことが何が何だかわからないのでした。
確かに太陽はいつも同じ方向から昇り、同じ方向に沈みます。
それくらいは分かります。
でも、夜空のお星様については綺麗だなと眺めることがあっても、それのどれか幾つがあちこち逆に動くだなんて、考えたことも気付いたこともなかったのでした。
ルードン大博士はやれやれと首を少し横に振りました。

「それも簡単なこと。惑星については、天球の上にもう一つ天球がくっついているのである。これを『周点円』という」

大博士はまた後ろも見ずに、チョークで黒板に図を描きました。
マルゲリタを中心とする丸い天球の上に、さらに小さな天球がくっついていて、そこに惑星が乗っかっているのです。

「先ず、大きな天球がマルゲリタを中心に廻り、小さな天球『周点円』がさらにその大きな天球の縁を中心に廻る。しかるに、マルゲリタから見ると時に惑星は小さく見えたり大きく見えたり、また逆行したりして見えるのである」

成る程、と先生や生徒の一部から感嘆のどよめきが起こりました。
マゼルとミゼルにはどうにもチンプンカンプンですが、どうやら一部の人達だけが博士の言う意味が分かっているようでした。
ルードン大博士の説明に恐れ入ったのか、タリムは下を向いてモゾモゾし始めました。

「諸君ら小等部の生徒にここまでの説明は不要かと思い、省いていた。すまぬことをしたようだな。もうよいかね、では」

ルードン大博士はチョークを黒板のへりに置くと、軽く手をはたき、早々と教壇を降りようとしました。

「お待ちください!」

タリムはまた叫びました。
そしてなんと椅子の上にすっくと立ち上がると、地図のように大きな紙を広げて掲げました。
大講堂中の視線が、タリムの方へと集まります。
その紙はノートを切り取ったものを何枚も張り合わせて作ったもので、よく見るとそこには大きな円や小さな円が紙いっぱい、ところせましと描き埋めてあるのでした。

「これが私が計算して描いた、全ての惑星の天球と周点円です!」

何と、タリムはすでに周点円のことを知っていたのでした。
タリムのすぐ横に座っていたマゼルとミゼルには、その紙の内容がよく見えました。
確かに、紙の中心には小さくマルゲリタ大陸らしきものがあり、それを取り囲むように、大小さまざまな円が沢山、重なりあうように細かく書き加えてあるのでした。

「この円の数は、全部で80もあります。それでもなお、全ての惑星の動きがうまく説明できるわけではありません。矛盾が幾つも生じます。でも今の私には、これが精一杯なのです。しかし神様は、一体どうしてこんなに沢山の円を廻す必要があるのでしょう。いかに神様といえど、これはあんまり骨ではないでしょうか」

ルードン大博士は、妖しく光る緋い隻眼でタリムの掲げる図をじっと見つめました。
全体、大博士の位置から図の細かい内容など見えるはずもないのですが、それでも大博士は目を凝らして見ているようでした。
タリムの声はじょじょに荒がり、意気揚々としてきます。
タリムが“本当に”ルードン大博士へ伝えたいのは、ここからなのでした。

「私は、このような複雑多岐な円を描かずとも、もっと簡単に全惑星の運行を説明する方法を考えついたのです!それを是非、ルードン大博士にお聞きき願いたいのです!」
「そこまでにしなさい」

ルードン大博士は意外にも、少し慌てたような様子で制しました。
しかし高揚したタリムは構わず続けようとします。
タリムはここから、一言づつ噛み締めるように、言い出しました。

「それは、マルゲリタ大陸をこの世界の中心と考えるのではなく、たい――」
「タリム!!」

ルードン大博士は突然、タリムの名を叫びました。
タリムは急に、心の蔵を手でグニと握られたようにドクンとし、それから耳の奥がキーンと鳴り出しました。
タリムの頭の中で、様々な思いが蛾のように飛び廻ります。

「なぜ僕の名を?」
「僕は名乗ったか?」
「いや、名乗っていない」
「大博士は僕の顔を?」
「いや、初対面だ」
「席も自由」
「これだけの数の生徒がいるのに」
「一体どうして!?」
「……謎、謎謎謎謎謎謎謎謎謎」

そうです、ここマイロン大学の講堂には近隣の小等学校の全ての生徒が集まり、その数は何百人にもなっています。
生徒らは押し合って座り合い、席を取れなかった者は講堂の後ろのあいている所や、席と席の間の通路に座ったりしているのです。
しかもその席位置は特に決まっておらず、自由であったので、みんなはてんでバラバラ、好き好きに陣取っているのでした。

なぜ、ルードン大博士のような偉い方が自分の名など知っているのか、タリムは一体全体わけがわからなくなったのでした。
ここまで、かのルードン大博士に持論をぶつけようと怪気炎をあげていたタリムでしたが、大博士の口から出た予想外の言葉に、完全に思考が止まってしまいました。
しばし、講堂を静寂が包み込みました。

「……タリム=ガンド君。ムクリ=ガンド博士の息子だね。成る程、そのレンズや天体の知識は、ムクリ博士から譲り受けたものか。あれからどうだい、生活の方はしっかりやっていけてるかね?」
「は、はい……」
「そうか、おっかさんを大切にな」

そう告げると、ルードン大博士は講堂をスタスタと出て行ってしまいました。
その後を慌てて白い修道服を着たお付の人と、学校の先生達が付いていきます。
タリムは手にしていた大きな紙をクシャと抱きしめ、ペタンと力なく椅子に座りました。
講堂は、シンと水を打ったような静けさを保ったままでした。

【つづく】

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テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

  1. 2008/05/02(金) 03:14:15|
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