
マゼルとミゼル、タリムとゼイラは三日ぶりに物置部屋の外の空気を吸いました。
四人がぐったりとソファーや床で寝ていたところ、市長が急に部屋へと入ってきて
「起きなさい。これから君達は、ルードン大博士の前に行く。決して失礼のないように、尋ねられたことにはきちんと応えるように、わかったな」
とぶしつけに言いました。
「ルードン大博士?」
と、みんなが思ったのも束の間、ドヤドヤと大人達が何人も現れて、四人の顔や体を濡れ布巾で拭いて綺麗にし、髪もクシで整えてくれたのでした。
四人は何日も部屋に閉じ込められていた疲労と、やっと部屋の外へ出られる開放感、それからルードン大博士への畏怖の混沌で、パレットの上に色んな色の絵の具を出し、グチャグチャとしたような心持ちになりました。
「用意はできたね、では着いてきなさい」
そう告げると市長はスタスタと廊下を歩きだし、四人はヨタヨタとその後を着いていきました。
マゼルは憔悴しているミゼルを支えるようにして、大人の歩調で進む市長にやっと着いていくように歩きました。
廊下の窓から射す太陽の光は、もう赤く西の空へ傾きかけています。
どうしたことか誰も聞こうとしないので、黙々と先を行く市長にマゼルが尋ねました。
「……あの、何でルードン大博士が僕らに?」
「……」
市長は何も答えません。
そう言えば、市長はいつもの清廉とした顔つきとは違い、どこかやつれて青ざめています。
タリムはついさっきまで、部屋を出たら自分達を閉じ込めた意地悪な大人達に、あれも言ってやろうこれも言ってやろうと疲れた頭で考えを巡らしていました。
しかし、“ルードン大博士”という言葉を聞いた途端、すっかりその心が萎縮してしまいました。
歳のわりに気丈なタリムも、先日マイロン大講堂で大博士に睨まれた恐怖心が湧き上がり、何だか変に喉が渇き、市長に歩いて着いていくだけがやっとなのでした。
そして、みんなが最も気にしていたことを、四人の中で一番憔悴しきっているミゼルが、乾いた唇で尋ねました。
「……あの、タルマは……どう」
市長は突然、スッと歩みを止めました。
後ろの四人も、それに合わせつんのめるように止まりました。
市長は顔を半分だけ後ろへ向けて、四人に言いました。
「……タルマ。あの得知れぬ生物のことだね。その件で、ルードン大博士から君達に話があるそうだ」
みんなの胸がドクンと鳴りました。
○マイロン中央会議所・応接室
「――と、いうわけである」
子供ら四人は立ったまま、ソファーに座って話すルードン大博士のお話に聞き入りました。
ルードン大博士のお話とはこうでした。
あれから、大人達は必死になってタルマを殺そうとしました。
しかし結局、どんな手段を用いても、タルマを殺すことは出来きませんでした。
タルマには、火も水も毒薬も、刃物も鈍器も、全く効き目がなかったのです。
困ったマイロンの大人達は、ついにはルードン大博士に助けを求めましたが、そのルードン大博士を持ってしてもタルマの正体は定かではなく、今に至るまでタルマは全くの無傷なのでした。
「……全く、奇体な生物だ。不可解極まりない」
あのルードン大博士が、半ば諦めたような表情で呟きました。
ミゼルは、ひとまずタルマが無事だとわかると、心から安堵しました。
マゼルとゼイラはふんふんとルードン大博士の言うことを素直に受けとめていましたが、タリムだけは、“大人達がルードン大博士に助けを求めた”の部分だけは嘘だと確信していました。
マイロンの大人達はあの夜、ルードン大博士にだけはタルマのことを知られまいと必死に画策していたのです。
それだのに、自ら救いを乞うようなことをするはずがありません。
きっとまた、かの恐ろしいルードン大博士の千里眼によってその謀が暴かれたに違いない!
そんなことをタリムはモヤモヤと考えていたのですが、ルードン大博士はこの部屋でタリムと顔を合わしてから、タリムに何も言いません。
ここにいる子供の一人が、数日前、マイロン大講堂で大胆にも講義に水を指した生徒だということを、ルードン大博士は認識しているのでしょうか。
いや、普通に考えて、認識していないはずはありません。
タリムは今、恐ろしさで迂闊に口も開けない状況に陥っているのでした。
「そこで――」
ルードン大博士はゆっくりと続けました。
「あの得知れぬ生物を完璧に屠り去る為、君達に協力を願いたい」
ミゼルが、ピクリと反応しました。
ミゼルと手を繋いでいたマゼルは敏感にそれを察知し、慌ててミゼルに言い聞かせました。
「落ち着け、落ち着くんだ、ミゼル。心を乱しちゃいけない」
「う〜、う〜」
ミゼルはまた目に沢山の涙をためて、ブルブルと震えだしました。
その瞳はまっすぐルードン大博士を見据えています。
脇に立っていた市長が、ルードン大博士にすばやく耳打ちをしました。
「ルードン大博士。あの子は特別、神経が細やかな子なのです。あまり過激なお話は……」
「かまわん。私は今、マルゲリタ全体に関わる重大な話をしておる。個々の子供の感性など、知ったことではない」
「……」
ルードン大博士の氷のような返答に、市長は閉口しました。
「でも、殺してしまうなんてあんまりです。あんまり可哀想です」
ゼイラが突然、声を上げました。
ゼイラは体が大きく力の強い子供でしたが、心も人一倍、強く優しい男子なのです。
ルードン大博士はやれやれと肩をすくめると一転、とても優しい口調になり言いました。
「よく聞きなさい。諸君はあの得知れぬ生物の第一発見者だそうだね。何でも“タルマ”などど名前を付けて愛玩していたのだとか。まぁ、その“タルマ”に感情を寄せるのは分からぬでもない。せっかく拾った、変わった形の生き物だからな。しかし全体、キャツはそこいらの犬や猫とは違うのだよ。そもそも、キャツは一体何を喰う?」
ルードン大博士の突然の問いかけに、子供達は戸惑ってしまいました。
タルマと出会ってからたったの小一時間で引き離されてしまったので、餌のことなど考えてもいなかったのです。
言葉の出ない四人を見て、ルードン大博士は続けました。
「各種の肉や魚、昆虫、それに野菜や木の実など、我々が思いつくものは一通り与えてはみた。しかし、キャツはそれらを一切口にしない。いや、そもそも口らしき機関が見当たらないのだがな」
口がない?子供達は驚きで目を見張りました。
「我々の常識からいくと、生物として動いているからには、何かしらエネルギーが必要となるはずだ。諸君らだって毎日、食事を取り水も飲むだろう。それはキャツもしかりのはずだ……我々の常識からいけばな。しかしキャツは、その我々の常識の外より来た生物だ。キャツの常識では、食物は口から取るものではないかもしれないし、また、マルゲリタには存在しないモノを必要としているかもしれない。ただ残念ながら、我々にはその真意を知る術がない。暫くの間は、このままでも良いかもしれない。しかし、いずれキャツが食物の問題で餓死するような事態になるやもしれん。餓死というのは、あらゆる死の方法のなかで最も辛い。出来れば、キャツを元いた場所に帰してやるのが一番だとは思うが、それこそ無理な話だろう。何せ、突然空から落ちてきたのだからな」
ルードン大博士はおもむろにソファーから腰を上げると、聖典の有り難いお言葉を述べるような身ぶり口ぶりで、四人にさらに語り掛けました。
「本来なら、キャツはここへ生きて辿り着くべきではなかった。稀に、深海に棲むグロテスクな怪魚が、死体となって海岸に打ち上げられることがあるだろう。あのように有るべきだったのだ。それが、神の悪戯、ほんの些細な気まぐれで、生きてこのマルゲリタに飛来してしまったのだ。それこそ、万に一、億に一の確率でな。結果的に、我々が優しく接することが、“タルマ”にとって長く苦痛を与えることに繋がるやもしれない。それならば、これはもともとの運命だと、速やかに葬ってやるのも手なのではないかね」
ルードン大博士のお話に、子供達は考え込んでしまいました。
確かに、タルマにとって何が本当の幸せなのか、人間には誰も分からないからです。
「うるさい!」
ミゼルが目を見開き、叫びました。
ルードン大博士に本当に噛み付くような勢いです。
「それでもタルマを殺すなんて、許せない!」
「ミゼル!」
マゼルはミゼルを落ち着かせようと、ミゼルの体をガバッと抱き寄せました。
しかし、ミゼルの剣幕は一向に収まる気配はありません。
大きな猛犬を思わせるような、物凄い力で力んでいます。
マゼルはミゼルの頭を自分の胸にうずめるようにして、強く抱きしめました。
ルードン大博士は、ミゼルの形相を全く気にかける様子も無く、続けました。
「ほほ、そうか。しかしな、キャツは今でこそ大人しくしているから良いものの、それがいつまで続くかは分からんぞ。何せ、我々はキャツのことを何も知らぬのだ。もしかして、キャツはトラやオオカミのような獰猛な生き物かもしれないし、百足や蠍のような毒を有する生き物かもしれない。今後、キャツが急に隠し持っていたキバを剥いたり、我らの頭や身体を狂わす妖しい魔術を使う可能性もある。もしそうなってからでは遅いのだ。これは人間に危害が及ぶ前に、早めに行動せねばならぬ」
「薄汚い人間なんか、死ねばいい!」
「ミゼル!」
マゼルはミゼルを抱きしめたまま、思わず叱咤しました。
それと同時に心がゾッとして、真っ暗な暗闇に足をすくわれ、落ちていくような気持ちになりました。
ここ数年、ミゼルに抱いていたモヤモヤとした雲のような違和感。
マゼルとミゼルはで双子の兄妹として、これま同じものを食べ同じものを着て、同じように生きていました。
しかし、あの鶏“ラッタ”を失った日からというもの、ミゼルは変わってしまいました。
肉や魚など、生物の体を一切食べず、身につける物も革で出来たものを嫌い、全て綿や麻製の物を使ったのでした。
それでも、お父さんやお母さんやマゼルは肉や魚のお料理は大好きだし、革のピカピカしたクツやかばんも持っています。
それらを全部やめ、捨て去ることは出来ません。
しかしこれまで、ミゼルは家族を非難したり、自分のようにしろと強要したことはありませんでした。
食事時、テーブルにはミゼル用の野菜料理と、他のみんなの肉料理が並ぶし、くつ箱にはマゼルの麻で編んだくつと、お父さんの革のくつが並んでいました。
それを、ミゼルはどう考えているのだろう。
マゼルは少しづつ大きくなるにつれ、妹のミゼルにそんな疑念を抱くようになっていたのですが、その答えがまさに今、わかったような気がしたのでした。
「なんとも過激な発言をする子じゃ。まぁよい、今のは聞かなかったことにしといてやろう」
ルードン大博士は意外にも優しい口調で語ると、傍らに立っていた白装束のお付の人に向かい命じました。
「その子は不要だ、隔離せい」
「はっ」
そのお付の人はつかつかと二人に歩み寄って来ると、マゼルの腕からミゼルえを取り上げ、ひょいと肩に担ぎ上げてしまいました。
「はなせ、馬鹿、はなせ!」
ミゼルはかかえ上げられながらおもいきり手足をじたばたさせましたが、お付の人はそんなのはものともせず、部屋からさっさと出て行ってしまいました。
「泥棒!ミゼル、ミゼル!」
「安心せい、悪いようにはせん。また少し、元の部屋に戻るだけだ」
マゼルはあっという間の出来事に狼狽しましたが、ルードン大博士の一言にたしなめられてしまいました。
この悶着の合間を見計らい、タリムがようやくルードン大博士に対して口を開きました。
「それで……僕たちは何を協力すればよいのでしょう」
「ああ、そうだったな」
ルードン大博士は残った三人の方へ向き直ると、改まった様子で言いました。
「キャツを葬り去る大事な役目を、諸君ら三人に委ねたいと思う。これは使命だ。」
「!?」
マゼル、タリム、ゼイラの三人は思わず目を丸くしました。
これまで、大人達があらゆる手段でタリムを殺そうとしたのに叶わなかったのです。
自分たち子供に、一体に何が出来るというのでしょう。
「まぁ驚くな。手段自体はいたって簡単だ」
「い、一体どうやって……」
「その方法は後ほど伝える。ダドック市にある、私の研究所に移ってからな」
「ダドック!?」
ダドック市とは、マルゲリタの中枢となる大都市です。
ここマイロンからは馬車で何日もかかる所です。
「ああ。すでに“タルマ”は私の研究所に移しておる。私もこれからすぐにダドックへ立つ。君達も一度家に帰ってから、身支度を整えなさい」
あまりの急なお話しに、マゼル、タリム、ゼイラの三人は顔を見合わせました。
【つづく】
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- 2008/06/26(木) 21:42:10|
- 序:鉄籠のタルマ
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「市長、ルードン大博士がおいでです」
秘書官のその言葉に、マイロン市長は思わず飛び上がりました。
『ルードン大博士がなぜまたマイロンに?』
ここ数日、ルードン大博士だけには知られまいと皆で口裏を合わせてやってきたのに…どこからか“得知れぬ生物”の噂を聞きつけてきたのでしょうか。
それともやはり、ルードン大博士ならではの不可思議な力によって?
いや、実はそうではなく、単に忘れ物をして、それを取りに戻っただけかもしれないではないか。
……しかし、一人でアレコレ考えても仕方ありません。
「わかった」
市長はなるべく冷静を装うようにして、ルードン大博士の待つ部屋へと向かいました。
市長はまるで断頭台へ上るような気持ちで、応接室の扉をノックし、中へと入りました。
勝手知ったる中央会議所の応接室の空気が、まるで蜂蜜のように淀んで感じられます。
応接室のソファーに、ルードン大博士は一人で座っていました。
ルードン大博士は市長が入ってくるなり、ギラッと光る緋い隻眼を無言でそちらに向けました。
小柄な老人とは思えぬ、恐ろしい威圧力です。
ドクンと市長の心臓は高鳴り、息が一瞬止まってしまいました。
「……こ、これはこれはルードン大博士。三日前にこちらを立たれたばかりなのに、一体どうされたのですか」
市長は胸に手を当て、引きつった顔に無理に笑顔を作り言いました。
ルードン大博士は市長から少しも視線を外さず、そのままの姿勢でゆっくりと口を開きました。
「なに、三日前の夜、マイロンの森に何かが落ちたと聞いてな」
「……」
「何でも星が落ちてきたと言う者もいるとか。それならなぜ、すぐに私のところに使いを寄こさぬ」
「それは、あの、ええ……」
『もう駄目だ!』
ここは無理にでも誤魔化すべきか、それとももう洗いざらい話すべきか……。
マイロンの未来が、今の自分の言動に託されているのだと考えると、市長の頭の中は地震のようにグラグラと揺れ、腋にはぐっしょりと汗をかいたのでした。
やがて、市長の言葉は完全に詰まってしまいました。
「もうよい、その場所にすぐ案内いたせ。それとも、落下物はもうどこかに動かしてあるのか?」
これはすっかり駄目だと、市長は頭をうなだれて観念の臍を固めました。
「……はい。実はこの建物の地下の部屋に、捕らえてあります」
「……捕らえて?」
ルードン大博士の緋い隻眼が、懐疑的に光りました。
× × ×
市長はルードン博士を伴い、中央会議所の地下への階段を降りてゆきました。
中央会議所の地下は、ごく一部の者しかその存在を知らない、いわば秘密の避難場所のような空間なのでした。
暗くて細い階段を降り切り、市長は地下室への扉を開けました。
中からオイルランプのかすかな灯りが洩れてきます。
地下室の中はソファーとテーブルが置かれ、棚には様々な重要な書類や本、瓶詰めの保存食などが雑然と詰まれておりました。
タルマの入った鉄の籠は、テーブルの上に厚手の布を被せて置いてあり、その脇のソファーには見張りのポー博士が寝転び、グアグアとイビキをかいて寝ておりました。
市長はポー博士のだらしのない寝顔にため息をつきました。
「ポー博士、ポー博士」
「んあ?」
市長の呼びかけにポー博士は目を覚まし、眠気まなこで応えました。
「ルードン大博士がおこしですぞ」
「え?……ええっ!」
ポー博士は、市長の後ろに立っている白髪の老人がルードン大博士だと分かると、思わずソファーから飛び起き、後ろの本棚に背中からぶつかりました。
厚い本が何冊も、ポー博士の頭の上にドサドサと落ちてきました。
「いたたたた!」
ルードン大博士はそんなポー博士などには目もくれず、厚手の布を掛けられた鉄籠を凝視しました。
「そこに?」
「は、そうです」
「……鉄籠?なぜに……」
市長は口で説明するより、この異形の生物を見せた方が早いであろうと、鉄籠につかつかと歩みよるとパッと布を取り去りました。
格子の中では、タルマがくるんと丸まって眠っています。
「!!!???」
その時のルードン大博士の驚きようといったらどうでしょう。
博士の長く白い髪は逆立ち、緋い隻眼はこれ以上ないほどカッと見開いたのでした。
その刹那、ルードン大博士は消えました。
いや、市長とポー博士には消えたように見えたのでした。
実際は、ルードン大博士はものすごい速さでソファーの後ろの陰に潜り込み、隠れてしまったのでした。
まるで、眠っていたところに突然悪戯をされて飛び起きた猫のようです。
ソファーの陰にうずくまり、ルードン大博士は絶叫しました。
「はっ、早く布を被せろ。早く!」
「は、はい!」
ルードン大博士の尋常でない様子に驚いた市長は、慌ててまた布を鉄籠に被せました。
「被せたか?」
「はい」
「ではもっと奥、ここから見えない場所にまで動かせ」
「は、はい……」
市長とポー博士はすぐに鉄籠を二人で持ち上げ、部屋のさらに奥へと置いて戻ってきました。
ルードン大博士はまだソファーの陰でうずくまったままです。
「見えぬか?」
「え、ええ」
「……そうか」
そしてようやく、ルードン大博士は顔を上げました。
「ここではいかん、いかんいかん。すぐに上がらねば」
と、ルードン大博士は乱れた髪や服装を気にしながらブツブツと言いました。
かつてないルードン大博士の慌てふためいた様子に、市長とポー博士は顔を見合わせました。
× × ×
階段を上がり元の応接室に移ると、市長はこれまでの出来事を包み隠さず全て、ルードン大博士に話してしまいました。
三日前の夜、マイロンのはずれの森に得知れぬ物体が落下し、その衝突音に周辺のニ十人程の人間が気付き集まったこと。
その中の四人の子供が得知れぬ物体に深く関わり、軟禁状態であること。
そしてその得知れぬ物体が、どんな手段を用いても決して破壊できぬこと。
全てを話し終わり、市長とポー博士は緊張の面持ちでソファーに腰掛けたルードン大博士を見ました。
ルードン大博士はうつむき、膝の上で手を組みながら市長の話を聞いていました。
しばらくそのままの姿勢で無言を続けた大博士は、ようやく口を開きました。
そしてその言葉は、市長とポー博士にとって大変意外なものでした。
「……そうか。しかし、お前達のやったことはまったくもって正しい。確かに、得知れぬ生物の発見をすぐさま私に知らせなかったのは悪い。とても悪い。しかし、それを差し引いても、これ以上人に知らされないよう、得知れぬ生物を秘密裏に屠り去るという考えは、まことに正しいのである」
予想外のルードン大博士の発言に、市長とポー博士は思わず「はあ」などと気の抜けた返事をしてしまいました。
「ポー君の解釈は至極道理だ。私には分かる、あれほど不吉なものはこの世にない。マルゲリタの民を不安に落としいれない為にも、これをなるべく秘密裏にし、可及的速やかに処分しなくてはいけない」
「しかし先ほども申しましたが、火も薬も毒も、奴には効きませぬ」
ポー博士が言いました。
「いかがすれば……」
「大丈夫、それにはこちらにも策がある。さて、あの得知れぬ生物を触った者を全て呼びなさい。直接、じかに触ったものだけだよ」
「じかに……」
ルードン大博士の指示に、市長とポー博士は顔を見合わせました。
「どうした、おらぬのか」
「……いることにはいるのですが」
「……その軟禁している、四人の子供達だけなのです」
そうなのです。
タルマをじかに触った人間は、マゼルとミゼル、それにタリムとゼイラの四人だけなのです。
大人達はみんなタルマを畏怖し、スコップや大挟みなどを使ったりして、誰一人、直接触れてはいないのでした。
「何と、子供とな……」
立派な白いアゴヒゲを何度も撫でながら、ルードン大博士はまた少しの間考え込みました。
やがて
「……よろしい、それはかえって都合が良いかもしれぬ」
ルードン博士の緋い隻眼が、また妖しく光りました。
【つづく】
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- 2008/06/06(金) 02:37:35|
- 序:鉄籠のタルマ
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マゼルとミゼル、タリム、ゼイラの四人は別の部屋に連れて行かれ、外から鍵を掛けられてしまいました。
小さな窓しかないその薄暗い部屋は物置として使われているようで、大きなソファーだとか椅子だとかテーブルだとかが雑然と置いてあり、なんだかとても埃っぽいところなのでした。
ミゼルはさっきまで何時間も泣き喚き、部屋の扉を蹴ったり叩いたりしていましたが、ついには力が尽き果て、ソファーの上でスウスウと糸のような寝息を立てて眠ってしまいました。
涙の跡が薄く滲むミゼルの寝顔を眺め、マゼルはある出来事のことを思い出していました。
もう何年前のことだったでしょう、マゼルとミゼルの近所の家では、庭先で鶏を何羽も放し飼いにしておりました。
そのうちの一羽をミゼルは特に気に入っており、“ラッタ”と勝手に名付けては、駆けっこをしたり抱っこをしたりして、一緒によく遊んでいたのでした。
ところがある日、ミゼルがいつものようにラッタの好物の菜っ葉を持って会いに行くと、そこにもうラッタの姿はありませんでした。
そのお家の人に所在を尋ねても、「ラッタなんぞ知らん」というだけです。
ミゼルは自分の足でいけるだけ、そこいら中を探しまわりましたが、ラッタはどうにも行方知れずなのでした。
ミゼルはそれからしばらく、すっかりしょげて暮らしていたのですが、その出来事は突然露顕しました。
ラッタが居なくなった次の日の晩、マゼルとミゼルの家の食卓に並んだメインの皿が、実はおすそ分けで貰ったラッタの肉だったのでした。
ミゼルはそれを知るやいなや、半狂乱の気違いのようになりました。
そして何日も何日も、メソメソメソメソ泣き続けたのでした。
それ以来、ミゼルは生き物の体を食うのをパタリとやめました。
お母さんが一生懸命にこさえた料理でも何でも、そこに動物や魚が少しでも混じっているようなら、それを食すのを一切拒否したのです。
マゼルとミゼルのお父さんは漁師です。
魚を捕るのが仕事のお父さんは、そんなミゼルに内心穏やかではありません。
お魚を食べる食べないで、お父さんとミゼルの間に思い出すのも嫌なくらい散々の衝突がありました。
お父さんが罰としてご飯を一切抜きにしても、ミゼルは何日もそれに絶え、しまいには寝込んで学校を休んでしまうほどなのでした。
そして結局、折れたのはお父さんの方でした。
それからというもの、家での食事はいつもミゼルだけが肉・魚のない別の献立となったのでした。
一度ミゼルが酷い病気をした時、お父さんとお母さんが内緒で、魚の肝の薬をミゼルに飲ませたことがありました。
ミゼルは臭いですぐそれに気づき、この時もたいそう騒いだものでした。
「他の生き物の命をとってまで、私は元気になりたくない」
ミゼルは他の誰よりも繊細で、澄んだ心の持ち主なのでした。
せっかく仲良くなった不思議な生き物・タルマが殺されてしまうのは、マゼルもとても悲しいことです。
でもミゼルはそれよりももっともっと、悲しい想いをしているのだとマゼルは分かっているのでした。
そしてミゼルほどでなくとも、「どうにかしてタルマを助けてあげたい」という想いは、一緒に閉じ込められているマゼルもタリムもゼイラも同じなのでした。
今頃タルマはどんな目に遭っているのでしょう、何か酷いことをされているのではないでしょうか。
そう考えるだけで、子供らの心は悲しく明滅するのでした。
× × ×
四人があの部屋に閉じ込められてから、三日目の朝を迎えました。
その間、ポー博士と市長をはじめ、大人達はみな大変困っておりました。
タルマを殺してしまおうと決めてはみたものの、その手立てがことごとくうまくいかないのです。
まず、力自慢の兵士が子供の背丈程もあるような大きなカナヅチで、床に置いたタルマを思い切り打ちつけました。
何度も何度もタルマに大カナヅチを振り下ろしたのですが、「ガキン!」と大きな金属音がするだけで、丸まったタルマの殻は一向にへこむ気配がありません。
また、鋭い刃のノコギリを用意して、それでエイヤっと引いてみたりもしました。
しかし、これもノコギリの刃の方が欠けるだけで、タルマの体はやはりびくともしません。
それから鉄の炉に入れて燃やしてみたり、火薬を仕掛けて爆破させてみたり、強い薬に一晩漬けて溶かそうとしたりもしました。
しかしどれもこれも役には立たず、終えてみるとタルマは何事もなかったかのようにまたキュルキュルと手足を伸ばして元気に動き回るのでした。
タルマを覆う白い殻は想像以上に強固なもので、大人達がどれだけ知恵を絞ってみても、結局傷一つつけることは出来ませんでした。
「……化け物だ」
市長とポー博士はつぶやきました。
“決して殺せない生き物”、そんなものが本当にこの世にいるのでしょうか。
それともやはり、こやつはマルゲリタの常識の範疇を超えた、異界よりの来訪者なのでしょうか。
この有様を見るかぎり、どうにもそう認めざるをえない気がしてきます。
大人達の万策尽き果てたその時、市長やポー博士が最も恐れていた事態が起きてしまいました。
ルードン大博士が、マイロンに再訪したのでした。
【つづく】
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- 2008/05/30(金) 01:22:53|
- 序:鉄籠のタルマ
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○マイロン中央会議所
マイロン市の中心に位置する“マイロン中央会議所”には、多くの人たちが集められました。
もうとっくに夜は更けていましたが、この“流れ星が墜落した”という非常事態に、市の重要人物を中心に特別召集がかけられたのでした。
まず、マイロン市長です。
マイロン市長は豊かな口ひげを持つ、背の高いたいそう立派な紳士です。
こんな夜更けなのにきちんと法衣に身を包み、一番に現れました。
それから学者のポー博士。
ポー博士はマイロン大学の動物学の先生なのですが、とても瘠せた頼りない風貌にギョロギョロした目をしていて、みんなの中で一番端の離れた場所に座りました。
他にも副市長や星が落ちた村の村長、それに兵隊さんやら何やらと勢ぞろいし、会議所は一種厳かな雰囲気を呈していました。
マゼルとミゼル、タリムにゼイラは勿論、マゼルとミゼル、ゼイラのお父さんとお母さんも呼ばれています。
タリムのお母さんだけは来ませんでしたが、かわりにタリムの叔父さんという人と、タリムよりだいぶ年上に見えるサータという従兄弟が来ていました。
タルマは逃げ出さないよう、小型の獣を入れる為の鉄籠に入れられ、会議場の前にかしこまって置かれています。
先ほどまでは中でキーキーとせわしなく動いていましたが、今は静かに丸まって寝ているようです。
集まった大人達はそんなタルマを訝しげな目で見ては、口々に小声で述べていました。
「あれは一体何だろう」
「あんな生物は見たことも聞いたこともない…」
「何でも夜空から堕ちてきた流れ星だとか」
「ではあれは、天上から遣わされた天使なのでは?」
「そうか、神様の遣いなのかも」
「まさか…」
そして、
「流れ星が地面に落ちるとは、これまた稀有なことがおきたものですな」
市長もまた、鉄籠を一瞥して言いました。
「しかも落ちた星が生き物だとは、ことさら奇態な話だ。そうすると、夜空の星はみんなこのようなものなのかね、ポー博士」
「…それはわかりません。そもそも、その巨大な虫が、本当に星であるかどうかが疑問ですが…」
ポー博士が眉間にしわを寄せたまま、市長に応えました。
「しかしあの地面の窪みからして、空からこれが落ちてきたことは明白であろう。ちょうどその場所に流れ星が落ちたのを見たという子供もいる。そうだな」
市長から視線を受け、タリムはコクリとうなずきました。
「分かりません、分かりません……」
ポー博士は頭を抱えてうつむいてしまいました。
この事態に一番困惑しているのは、ポー博士のようです。
「…すいませんが私はとても気分が悪い、昨日からどうも胸の辺りがモヤモヤしてね。悪いのですが、私は失礼させていただく。ここにはもう一秒だっていたくない」
ポー博士はガタリと席を立ち、そそくさと会議場を後にしようとしました。
誰の目にも、ポー博士は本当に具合が悪いのでなく、この厄介な一件から関わりたくないが為に嘘をついていることが明白に見て取れました。
「では!」
突然市長が、会議場全体に響き渡るような声で叫びました。
「これはもう、ルードン大博士にお伺いを立てるしかありませんな」
ポー博士はギクリとして歩みを止めました。
いや、博士だけではありません。
その言葉に、会議場の空気が鍛えられた腹筋のようにギュッと引き締まるのが伝わってきます。
こんな立派な大人達が集まっても、ルードン大博士とはそれほど恐ろしく、怖く思われる存在なのでした。
ポー博士はくるりと踵を返し、険しい形相で市長のもとまで進みました。
「市長、それはおやめください。あの方をこのことに巻き込むのは得策ではありません」
「ほう、なぜかね」
「市長もここにいる皆さんも、事の重大さをまったく理解していない。本当に、そこらの子供と思考が同じ程度だ。全くやり切れない」
市長はポー博士の言い方に、少し憤慨の色を見せました。
ポー博士はその市長になるべく顔を近づけ、市長を嗜めるように、押し殺すような低い声でゆっくり言いました。
「よいですか。そこの白い物体が、もし、万が一、天から落ちてきたものだとしましょう。そうすると、どうなりますか。それは、人外より来たりし異界の生物となります。ライラ教の聖典には、この世界の森羅万象は神が創られ、世界は全て神の意思によって動かされているとあります。その世界の中心にここマルゲリタがあり、マルゲリタを中心に世界は廻っているのです。それがマルゲリタの天上にも世界があり、生物がいるようなことになってごらんなさい。聖典の内容は偽りで、これまでのルードン大博士の教えを覆すものとなりますぞ」
「うむ……」
「天使だなんてとんでもない、その生物はこの地にあってはならない、言わば悪魔です。私には分かるのです、その生物は普通ではない。神のご意思で創られた他の生物とは違う、何か、人為的で作為的ものを感じるのです。全く、得知れぬモノです」
「……」
「そんなものがマイロンに落ちたなどと広まってみなさい。ここマイロンは、悪魔の降り立った地として、マルゲリタ中に知れ渡ってしまいます。そうすれば、いったいどんな仕打ちを受けるか分かったものではない」
会議場はシンと静まりかえってしまいました。
そうです、これまでも悪い思想が広まったり、流行り病が広がった地域は、ルードン大博士の指示の元に隔離されたり、卑下されるようなことが幾つもあったのです。
「……では、どうすればよいとお思いか」
ポー博士は、しっかりと確信を持った強い目で言いました。
「なかったことにする、のが一番でしょうな。そんなモノは、最初からここにいなかった」
「と、言うと……」
「抹殺しましょう」
会議場内が低くどよめきました。
「市長、それしか方法はありません。かの生物の正体が何であろうと、マイロンの平常を維持する為には、それが一番なのです」
「……」
「やめてぇ!」
会議場に来てから一言も発していなかったミゼルが、突然叫び声をあげました。
「駄目、そんなの、絶対駄目ぇ!」
市長とポー博士に食ってかかろうとするミゼルを、マゼルが慌てて制しました。
市長とポー博士は、ミゼルを軽く一瞥しました。
それは、子供の言うことに全く耳を傾ける気など無い、大人の非情で冷徹な目でした。
ミゼルは敏感にそれを察知すると、くるりと向きを変え、鉄籠の方へ全力で駆け寄りました。
ミゼルは勇敢にも、タルマの大人からの奪還を試みたのです。
しかし鉄籠の周りには体の大きな警備兵が二人もいて、マゼルはそれにあっさり捕まると、乱暴に地面に押さえられてしまいました。
「ミゼル!」
お父さんとお母さんは、その様子を見て真っ青になりました。
「離せ、離せ馬鹿!」
ミゼルは腹ばいに倒されながら、ギャーギャー泣き喚いています。
妹のミゼルが無理に押さえつけられているのを見て、兄のマゼルも黙っていられません。
「ミゼルを離せ!だいたい、なんでタルマを殺さなくちゃいけないんだ。タルマは何も悪いことをしていないんだぞ、そんなの可哀想じゃないか!」
「そうだそうだ、オイラもそう思うぞ!」
ゼイラもマゼルと一緒に叫びました。
タリムだけは下唇を噛んで黙ったままです。
「ええい、子供達を全員隔離しろ。別室へ連れていけ!」
市長の指示に、大会議所の警備兵達がわらわらと子供達に近づき、タリムを含め全員をひょいと担ぎ上げてしまいました。
「お父さん!お母さん!」
子供達の悲痛な声に、お父さんもお母さんもオロオロするばかりです。
警備兵は子供達を担いだまま、さっさと会議場の外へ出て行ってしまいました。
「市長!」
子供達の家族が市長に駆け寄りました。
「……大丈夫、別の部屋に行ってもらうだけだ。この話は、あの子達の前ですべきではなかった。軽率でしたな」
市長は少し肩を落としました。
「あの子達は当分、この会議所で預かることになる。この事を他言されては、マイロン全体の為にも、あの子達の為にもならない。それは良いですね」
「……」
マゼルとミゼル、ゼイラの両親、それからタリムの叔父さんと従兄弟も、全員黙ってうつむいてしまいました。
そうです、確かに、市長の言う通りなのです。
このままではあの子供達が“悪魔に触れた子”として、マイロン、いや、マルゲリタ全体に忌まわれる可能性があるのです。
もしそうなれば、あの子供達の未来はきっと、真っ暗な地獄のようになるに違いありません。
ここは黙って、市長に従うよりないように思われたのです。
市長は気を取り直し、会議場全体の人々に言いました。
「さて諸君、お聞きの通りだ。今夜、マイロンでは何も起きなかった。いつも通りの、実に穏やかで静かな夜だった。そういう風にしなければなりません。しかしながら、森にあの得知れぬ生物が落ちた音を聞いた者は多い。皆さんには、そういった人達に何もなかったように思わせる手立てを今から話し合っていただきたい。私とポー博士は、あの奇怪生物の今後の処理について考えます」
市長はそう言い終えると、ポー博士に強い眼光を向けました。
ポー博士はその市長の目を見て、いよいよ覚悟を決めたように、ゆっくりと頷きました。
【つづく】
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- 2008/05/23(金) 03:18:56|
- 序:鉄籠のタルマ
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○マゼルとミゼルの部屋
夜のどん帳がすっかり落ちきり、もうマゼルとミゼルは眠る時間です。
二人は綿の柔らかな寝巻きに着替え、屋根裏の自分たちの部屋で就寝の仕度をしていました。
ミゼルのベッドの上には、フェルトで作られた、牛や馬や羊や蛙などの沢山の動物のお人形が並べられています。
ミゼルはいつも、この小さなお友達の中にうずくまるように眠るのでした。
ミゼルはふと窓際に立ち、そこから覗く夜空を眺めました。
もうすっかり自分のベッドにもぐり込んだマゼルが、ミゼルの様子を見て尋ねました。
「何を見ているの?」
「お星様。今夜はいっそう、綺麗に見える」
「ふーん、そう」
マゼルはまったく興味のない風に、ゴロリと寝返りをうって向こうを向きました。
「今日タリムが言っていた、お星様は色々動いてるって。でも、こうして見てもちっとも分からない。タリムは今も、おうちでこの空を眺めているのかな……」
これまで何の気なく見上げていた夜空ですが、あの物静かなタリムをルードン大博士に挑ませるほどに衝き動かす原因がそこにあるのかと思うと、あのがらんとした冷たそうな空間が、何か熱くたぎる秘密の集まりのように感じるのでした。
「もう寝ないと、お母さんに叱られるぞ」
向こうを向いたままのマゼルがそう口にした時、ミゼルの目に、漆黒の夜空を垂直に切り裂くひと筋の光が映りました。
「あ、――」
流れ星。
ミゼルがそう口にしようとした刹那、“ドーン”というカノン砲のような低い音が、遠くの方で鳴り響きました。
マゼルは思わず、布団から飛び上がりました。
「な、何だ?」
「……落ちた」
「え?」
「落ちたのよ、流れ星が」
「まさか……」
「ううん、見たもの。確かに今、流れ星が落ちた。あっちの方に」
ミゼルは異なものを目撃した興奮を抑え、窓の遠く、コルデ山のふもとを指しました。
「見に行こうか?」
「うん!」
マゼルとミゼルは急いで服を着替え、蝋燭の入ったランタンを持ち、そうっと家を飛び出しました。
お父さんとお母さんは次の日の仕事が早いので、もうとっくに寝ていて音には気付いてないようです。
ああ、夜空に煌くお星様が落ちてきた。
お星様とは、ぜんたいどんなものだろうか。
お家に持って帰っていったりしたら、もう蝋燭やランプはいらないのだろうか。
それを小さく砕いてネックレスやペンダントにしたら、どんなに素敵だろう。
マゼルとミゼルはそんなことを色々と考えながら、コルデ山のふもとまで風のように走りました。
○コルデ山のふもと
「確かこの辺りだと思うのだけど」
マゼルとミゼルは、鬱蒼とした薄暗い森の中にいました。
流れ星が落ちたと思う辺りを一生懸命探し歩いているのですが、なかなかそれらしいものが見つかりません。
あるのは競い合うように聞こえる虫の音ばかりです。
もう空から落ちたお星様は、光ることをやめてしまったのでしょうか。
もしそうなら、この暗闇でそれを見つけ出すのはとても困難です。
ランタンの蝋燭が無くなってしまう前に、おうちに帰らなくてはいけません。
そろそろ二人が諦めかけたその時、ミゼルが森の向こうで、何かが仄かに光っているのを見つけました。
「あそこ!」
二人はまるで狂喜して、その光に向かい一目散に駆けました。
光のもとには、すでに三人の人影が見ます。
その三人とは、タリムとゼイラ、そしてゼイラのお父さんとおぼしき人でした。
落ちた星は、大きく窪んだ穴の底にあるようで、それを三人は上から覗き込んでいるのでした。
「タリム!ゼイラ!」
マゼルとミゼルは叫びました。
「君たちも来たのか」
タリムは二人の声に気付いて振り向くと、静かに応えました。
「君たちの家は遠かったろうに、走ってきたのかい」
「うん。タリムも星が落ちたのを見たの?」
「……ああ、調度ね」
言葉少なげに語るタリムですが、しかしその実、タリムがひどく興奮しているのが二人には伝わりました。
目の輝きが爛々として、学校にいるいつものタリムとはまるで違っているのです。
「ゼイラも」
「オイラんチはすぐそこだからな。でっかい音がしたから、父ちゃんと飛び起きてすぐ来たんだ。母ちゃんと弟たちは家に置いてきた」
ゼイラは、マゼルやミゼル、タリムのひとつ上級生で、学校いち力持ちの体の大きい生徒でした。
そしてそのお父さんも、ゼイラに似て力がたいそう強そうに見える人なのでした。
職業は確か、マイロン市の兵隊さんだったはずです。
さてそのお星様は、空から落ちた衝撃で出来たと思われる窪みの底にありました。
それはまるで、ニワトリの卵の殻のように艶のない白い素材でできた、小さなスイカほどの玉状のものでした。
よく見ると縦や横に溝が入り、何やら幾何学的な模様を見せています。
そしてさきほどから蛍のように、白い体全体が、鈍く光ったり消えたりを適度に繰り返しているのでした。
「あれが、お星様?」
何だか思い描いていたお星様とはえらく様子が違うようで、マゼルがタリムに尋ねました。
「……わからない」
「私、触ってみようかしら」
「よせ!」
「おい、熱いんじゃないか?」
ミゼルが窪みの中に入ろうとするので、タリムとゼイラのお父さんが慌ててそれを制しました。
確かに、玉の辺りにはさっきからモクモクと煙が立ち登っています。
タリムはその辺に落ちていた小枝を拾うと、ヒラリと窪んだ穴の中へ入っていきました。
「あ!」
「大丈夫かい?」
タリムは無言で玉に近づき、小枝の先をそれに押し付けました。
しばらく押し付けてから、小枝の先を自分の指で確認するように触りました。
「大丈夫、熱くはないようだ。でも……」
「でも?」
「こいつがもし本当に空から落ちてきた星だとしたら、マルゲリタとは全く違う、異世界から来たものとなってしまう。それを無闇に触ってしまって良いのだろうか」
「……」
そんなこと誰もわかるはずもなく、全員しばらく黙ってしまいました。
しかしこうして見る限り、ペカペカと光るこの小玉が、もともとマルゲリタにあったものだとはどうしても思えないのでした。
これまでみんなが見たことがある、あらゆるものと違う、何か異質な感じがするのでした。
すると突然、その小玉が急にガタガタと暴れるように震えだしました。
タリムは慌てて小玉から離れ、窪みの外に這い出ました。
「なんだなんだ!?」
「動いたぞ!」
しばらく五人は窪みの上からその様子を見ていたのですが、どうも小玉の様子がおかしいのです。
小玉は激しく明滅を繰り返し、終始ガタガタと揺れています。五人は狼狽しました。
「これ、どうなるんだ?」
「わからない……」
「……」
その時、ミゼルが窪みにサッと飛び込み小玉に近づくと、それをひょいと抱き上げてしまいました。
「あっ!」
全員が息を飲みました。
ミゼルには、なんだかこの小玉がもがき苦しんでいる赤ん坊のように思えて、いてもたってもいられなくなったのでした。
兄のマゼルは、その様子を見て一番真っ青になりました。
「ミゼル、何してるんだ!よせ!」
「だって!」
「馬鹿、すぐ離すんだ!」
ミゼルはマゼルの叱咤を聞いても小玉を離そうとしません。
ブルブルと震える小玉を、ひしと抱きしめています。
「どうしたの?どこか痛いの?可哀想に」
まじかで小玉をよくよく見ると、玉の溝が少しだけ開こうとパクパクしています。
「開けたいの?」
ミゼルはその溝に指を入れ、無理に開こうとしました。
「何をしてる、駄目だってば!」
「もうよせ!」
そうマゼルとタリムが叫び、ミゼルに駆け寄った瞬間、小玉の溝はカパンと開き、カッ!と中から眩いばかりの光が溢れ出しました。
「わあ!」
目も眩むようなその光に襲われ、みんなは一斉に顔を背けました。
やがてその光はやみ、辺りをまた漆黒の闇が包み込みました。
みんなはチカチカする目を擦りながら、恐る恐るミゼルの方を見てみると、ミゼルの腕には大きなダンゴ虫のような生物が抱かれていました。
「ええっ!?」
その虫の体は、さっきの小玉と同じ、艶のない白い殻のような質感で出来ています。
そうです、あの小玉が、妖しげな白いダンゴ虫状の生物に変身したのでした。
このあまりの出来事に、みんなは言葉を失いました。
「良かったね、なかなか開くことができなかったんだね」
ミゼルだけが上機嫌で、ダンゴ虫のようなその生き物の体を撫ぜています。
小玉の虫は、腹の下にある無数の節足をカシャカシャと動かしました。
「それがさっきのアレ……なのか?ミゼル、大丈夫か?平気か?」
「大丈夫、大丈夫」
心配で汗をダルダル流すマゼルをよそに、ミゼルは実にあっけらかんとしたものです。
「うふふ、可愛い」
× × ×
マゼルは恐る恐るミゼルの腕にいる小玉の虫を触ろうとしますが、なかなか手を出せずにいました。
「何してるのお兄ちゃん。怖くない、大丈夫だよ」
「うるさい、分かってるよ!」
マゼルはようやく、指先で虫の表面を撫でてみました。
玉の虫の表面はやはりニワトリの卵の殻のようですが、でも卵の殻よりはずっと硬いようです。
タリムはそれをコツコツと確認するように爪で突付いちました。
触り心地は冷たい石のようだけど、しかし羽根のように軽い体をしています。
「どうやら甲殻類のようだけど、こんな生き物は家の図鑑でも見たことがない。一体何なんだろう」
「オイラにも、オイラにも触らして」
マゼルもミゼルもタリムもゼイラも、小玉の虫をペタペタと触りました。
小玉の虫は嬉しそうに体をくねらし、体の節々からキュイーンキュイーンと細かな音がします。
その様子がなんだか可笑しくて、皆は笑いました。
「あはは、何だ」
「そうだ、名前を付けなくちゃ。名前……タルマというのはどうかな」
ミゼルが突然、提案をしました。
タルマとはここの言葉で「丸いもの」という意味です。
「タルマかぁ。タリム、どうなんだろう」
「そうだな、こういうものは普通、第一発見者に命名権があるんじゃないかな」
「じゃあオイラだ」
ゼイラが手を上げ、しばらく考え込んでから、言いました。
「まぁ、タルマでいいんじゃないか」
「わーい、じゃあタルマだ」
ミゼルははしゃいで、タルマと命名されたばかりのそれを高い高いしました。
「なー、父ちゃんも触ってみれば?」
「嫌だね、気色の悪い」
さっきからゼイラのお父さんは一人だけ、タルマに近づこうとしないのでした。
ゼイラのお父さんは顔を背けながら言いました。
「しかしそんな奇態なもん見つけちまったら、黙ってるわけにはいかんわな。役場なり大学の学者さんに、そいつを報告する必要があるだろ」
「……え?」
ゼイラのお父さんの言葉に、子供達は一斉に動きを止めました。
てっきり、このままタルマをおうちに持って帰って、楽しく一緒に過ごせるものだとばかり思っていたのです。
その時です、森の向こうから、灯を持った多くの人たちがドヤドヤ集まってくるのが見えました。
「どうしたどうした」
「何ごとだあ」
星の落ちた音を聞きつけて、ようやく周辺の人が集まってきたようです。
近づく大人らの声に、子供達は少し不安な気持ちになりました。
【つづく】
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- 2008/05/16(金) 20:58:30|
- 序:鉄籠のタルマ
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